紀美野町の巨樹・古木

1.「蓑津呂の大杉」(令和5年4月30日作成)

(1)所在地:紀美野町(旧美里町)蓑津呂272(蓑津呂集会場)

(2)種類等:スギ(天然記念物指定無、幹廻り 推定3m、樹齢 不明)

   

  ↑ 蓑津呂八幡と大杉

 「蓑津呂八幡」については分からないが、大きな杉の根元にお祀りされていることから、山深い地域でよく巨木や巨岩に神仏をお祀りする風習があり、蓑津呂地区にも武運の神をお祀りする武士に関わる何かがあったと思われる。

   

  ↑ 大杉の全景

   

  ↑ 大杉の近景

 桃山町垣内の丹生神社から県道4号(高野口野上線)を通り貴志川町に向けて走っていると右手に杉の巨木が目に入ってきた。

 和歌山県内の巨樹・巨木の情報は無い杉の巨木であり、ちょっと寄り道をしてみる事にした。

 近づいてみると高さは20数mありそうで幹廻りも目測で3mは優に超えていそうで此の地域のシンボル的存在であろう。

 大杉の側に、小さな祠があり近くで農作業をされている方に訪ねてみると『お祀りされているのは「蓑津呂八幡様」で、杉も相当古いですよ』との事で、記念物の指定は無いが地域には大切な大杉であり、末永く見守って欲しいと願うばかりである。

2.「野上八幡宮のイチイガシ」(令和6年2月14日作成)

(1)所在地:紀美野町(旧野上町)小畑623(野上八幡宮

(2)種類等:イチイガシ(町指定天然記念物、幹廻り 2.5m、樹齢 250年)

   

 ↑ 神門・拝殿(正面奥)

 野上八幡宮は、欽明天皇13年(552)大和国より野上へ八幡神を勧請し、千住の神である国狭槌尊(くにさつちのみこと)を聖仙山(標高232m)へ遷宮した。

 永延元年(989)に石清水八幡宮の別宮となり、万寿2年(1025)に社殿を造営された。〈 野上八幡宮の歴史説明書より抜粋 〉

   

 ↑ イチイガシの遠景

   

 ↑ イチイガシの近景
 本殿裏山に樹齢は250年で高さ約25m、幹廻り2.5mのイチイガシが雑木と並んで立っている。此の森には、町指定の同程度の太さのイチイガシが30本ほどあるそうで、野上八幡宮の森を「イチイガシの森」に育てたいと前宮司さんが言っておられた。

 歴史ある野上八幡宮に相応しいイチイガシの森に育つ様地域の方々の末永いご協力をお願いしたいものである。

3.「西方寺のモッコク」(令和6年2月22日作成)

(1)所在地:紀美野町(旧野上町)柴目385(玉川山 西方寺)

(2)種類等:モッコク(町指定天然記念物、幹廻り 1.9m、樹齢 250年)

   

 ↑ 本堂

 

西方寺は、明応年間(1492~1500)小川庄内の中田、梅本、坂本、東福井の4ケ村は、国領から、御改地で高野領となり、すべて真言宗に改宗を厳命された。

 しかるに中田村の住民のうち、三名が浄土真宗に帰依し、改宗を拒否し続け、内一人が柴目に居住して当地の人々を教化し真宗を弘め、もと中田村にあった「西方寺」の寺号を採って明応五年(1496)三月に道場を創立した。〈 西方寺沿革史より抜粋 〉

   

 ↑ モッコクの全景

   

 ↑ モッコクの近景Ⅰ

   

 ↑ モッコクの近景Ⅱ

 本堂の手前、右手の鐘楼脇に樹齢250年のモッコクの巨木が悠然と立っている。狭い境内の中で高さ10m、幹廻り1.9mの老木は一際目立った存在感があり、歴史ある古刹の霊木に相応しい名木である。是非一度訪れ西方寺の歴史に思いを馳せてみて下さい。

4.「観音寺のモミ」(令和6年2月22日作成)

(1)所在地:紀美野町(旧野上町)小畑518(宝手院 観音寺)

(2)種類等:モミ(町指定天然記念物、幹廻り 2.85m、樹齢 300年)

   

 ↑ 本堂

 観音寺には、海南駅前から大十バス登山口行で、「紀伊野上バス停」で降車し少し坂を上がった住宅地の一角にある。

 境内の大きなモミの樹が遠目にも見えるので、巨樹を目指して歩くと数分で観音寺に着きます。

   

 ↑ モミの全景

   

 ↑ モミの近景

 住宅地の一角にある寺院で境内は余り広く無く、本堂も小ぶりである為か樹齢300年高さ20m、幹廻り2.85mのモミの巨木が廻りを圧倒し一段と存在感を感じさせる。

 此のモミの樹には、マツグミやフウランが寄生していて風情があり、300年の歴史を感じる観音寺の貴重なご霊木である。

 身近に残るモミの巨木は地域の宝であり、末永く守り続けたいものである。