那智勝浦町の巨樹・古木

1.「大泰寺のスダジイ」(令和5年8月23日作成)

(1)所在地:那智勝浦町下和田775(大泰寺門前)

(2)種類等:スダジイ(県指定天然記念物、幹廻り 5.1m、樹齢 400年以上)

   

↑ 大泰寺の参道

 大泰寺縁起によると伝教大師最澄は、桓武天皇の勅命を奉じ遷都の地を求めて諸国行脚で、此の近くを通りかかると大蛇に人が呑みこまれる騒ぎがあり「大師の高徳により大蛇が再び穴から出てこないように封じて欲しい。」と頼んだ。

 大師は「穴が二つあり封じる事は出来ない。温泉の湧く所に必ず薬師様を祀るものであるから、薬師様を祀らないのが悪い、私が薬師様を彫ってここに安置し、諸民の恐れを救うてやろう」との仰せであった。

 大師は蛇渕で身を清め七日の行をし、彫刻の刀を手に持ち一太刀毎に三礼して大仏像を作った。

 時は延歴七年十二月末の事で、此の時山崎お捨は「此の土地は薬師様に寄進して永世薬師の霊場として欲しい」と大師を通じて奉納したと伝えられている。

 又、境内には町指定文化財の「大泰寺 薬師堂」もあり、是非訪ねて見て頂きたい古刹である。〈 大泰寺縁起説明書より抜粋 〉

   

↑ スダジイの全景

   

↑ スダジイの近景
 参道前に県指定天然記念物のスダジイの老樹がある。根周り8m余り、高さ15mで幹廻り5.1mの巨木で、樹齢は400年以上と云われている。

 二本に分かれた幹の一本は折れたのか途中で切られ痛々しいが、頑張っている姿に“長生きしろよ”と木肌を撫でて、末永く地域のシンボルとして守られる様に祈って大泰寺を後にした。

2.「ウバメガシの老樹」(令和5年8月23日作成)

(1)所在地:那智勝浦町天満441-8(那智勝浦町体育文化会館)

(2)種類等:ウバメガシ(町指定天然記念物、幹廻り 4.7m、樹齢 不明)

   

↑ 那智勝浦町体育文化会館

 那智湾に面した「那智勝浦町体育文化会館」、最大3,000人収容の多目的ホール。2015年「紀の国わかやま国体」で、レスリング競技会場となったアリーナは各種スポーツ大会や式典等幅広い利用可能な施設で、その構内に「ウバメガシの老樹」がある。

   

↑ ウバメガシの全景

   

↑ ウバメガシの近景

 此処、体育文化会館にある「ウバメガシの老樹」は平成9年度『脇の谷「防災公園」江南山工事』により移植されたものであるが、三年余り仮移植先で樹力が回復するまで過ごし、平成13年4月、此処に本植されたと云う歴史を持つ「ウバメガシの老樹」である。

 樹齢は不明だが幹廻り4.7m、高さ7.0m、直径1.5mで県内最大、ウバメガシが県木であることとも合わせて価値が高い事から、昭和60年8月1日那智勝浦町指定文化財(天然記念物)として指定されている。〈 那智勝浦町教育委員会説明書より 〉

 新たな土地で頑張って生きているウバメガシの老樹を末永く見守って頂きたいと願うばかりである。

「ウバメガシの老樹が、生まれた江南山の今は」

   

↑ ウバメガシの老樹があったお山

 此処が「ウバメガシの老樹」が生まれ育った江南山で、今は「椎の浦防災公園」になっている。

 平成9年頃迄は、ここに在ったと思うと防災公園を造るとはいえ、ウバメガシの老樹には申し訳なく感じてくる。

 地域住民の命を守るためにやむを得ない事であったので、体育文化会館の構内に移されたウバメガシの老樹を愛おしく感じ、地域の方々にはこの事を末永く語り繋いで頂きたい。

   

↑ お山からの眺望
 勝浦港を一望するこの丘は、平安の昔から展望(みはらし)が良く、老松の美しさでも知られていました。

 後白河法皇が、熊野行幸の途次、しばし御休息なされた事で有名で、椎の浦防災公園に変わった今も此処から見る眺望は素晴らしいものがあり、古の都人にも親しまれた場所でもあり、後世にしっかり伝えていきたいものである。

那智勝浦町教育委員会説明書より 〉

3.「椙吉神社の大杉」(令和5年10月14日作成)

(1)所在地:那智勝浦町小阪1808・1809(椙吉神社)

(2)種類等:スギノキ(天然記念物指定無、幹廻り 7.35m、樹齢 不明)

   

  ↑ 椙吉神社 鳥居と大杉

   

  ↑ 椙吉神社 拝殿

 椙吉神社(すぎよしじんじゃ)のご祭神は「木花開那姫命(このはなさくやひめのみこと)とあるが、それ以上の詳しい事は不明である。

 『色川村誌』に「村社椙吉神社小坂字瀬の奥にあり、明治45年10月、南平野小阪の各神社を合祀し、由緒未詳、氏子数107」と記されている。

 古来より、深瀬大明神と称し、小坂村の氏神として安産の守護神として近隣より崇敬された様である。

   

  ↑ 大杉の全景

   

  ↑ 大杉の近景

 境内入り口の鳥居の横に根元より2主幹に分かれているが、高さ25m、幹廻り7.35mの大杉が悠然と立っている。

 樹齢は不明であるが、古くから椙吉神社のご神木として地域の安全と暮らしを見続けてきた大杉には、此れからも地域の人々に護られながら末永く元気で頑張って欲しいと願って椙吉神社を後にした。

4.「天神社のホルトノキと樟」(令和5年10月14日作成)

(1)所在地:那智勝浦町天満308番地(天神社)

(2)種類等:ホルトノキ(天然記念物指定無、幹廻り  4.22m、樹齢 不明)

         樟  (天然記念物指定無、幹廻り  5.52m、樹齢 不明) 

   

地主神社 八幡神社  ↑天神社

 菅原道真公を主祭神としてお祀りされ、『続紀風土記』には、「一村の産土神として那智山末社なり、建立の詳かならずといえども、古くより当所に勧請せる天満宮にして地名にも呼び来れるなり、古き勧請なるべし、社僧を教集院という、那智山の末寺なり」とあり、歴史ある古刹である。

   

↑ 左:樟・右:ホルトノキ全景

   

↑ 左:樟・右:ホルトノキ近景

 境内拝殿の右端に、高さ16mのホルトノキと高さ18mの樟のご神木が抱き合う様にして立っている。

 何れも樹齢は不明だが、幹廻りがホルトノキで4.22m、樟で5.52mと相当に古いもので、木肌は苔むしているが樹勢は旺盛で歴史ある天神社のご神木に相応しい巨樹で、天然記念物の指定は無いが大切に守り後世に残したいものである。

5.「ふだらく霊園 柿の古木」(令和5年10月14日作成)

(1)所在地:那智勝浦町井関(ふだらく霊園)

(2)種類等:カキノキ(町指定天然記念物、幹廻り 2.9m、樹齢 650年)

   

  ↑ 柿の木の全景

   

  ↑ 柿の木の近景

 熊野古道の「浜の宮王子(JR那智駅)」から熊野那智大社へ向かい一時間程歩いた古道沿いに柿の古木がある。

 標示板には「幹の周囲2.9m伊勢平柿という甘柿で、源頼朝(1147~1199)の死後に植えられたと伝えられている古木である。」とある。

 木の根元は空洞になり、主幹は折れて表皮だけになっていて痛々しい姿であるが、横から新たな枝を伸ばし、沢山の実を付けている姿に感動した。

 樹齢は650年と云われるが、頼朝の死後に植えられたとすれば800年近くの古木であろう。又、古木の周りは鎖で囲い大切に保存されているが、永い歴史の生き証人として末永く元気で生き続けて欲しいものである。

6.「水底神社のホルトノキ」(令和6年4月23日作成)

(1)所在地:那智勝浦町宇久井(水底神社)

(2)種類等:ホルトノキ(天然記念物指定無、幹廻り 4.89m、樹齢 不明)

   

↑ 水底神社社殿

 社殿左の巨岩(ご神体?)に「弘安9年(1286)酉5月13日に鎮座」と刻まれ、中央部には「目覚山御底大明神」と刻まれている。

 漁業関係者が信仰してきた神社で、毎春(4月第二日曜日頃)例大祭?を宇久井地区が執り行っている。(今年は令和6年4月14日(日)に実施された。)

   

↑ 例大祭:氏子お祓い

   

↑ 例大祭:獅子舞の奉納

   

↑ ホルトノキ全景

   

↑ ホルトノキ近景Ⅰ

   

↑ ホルトノキ近景Ⅱ

 目覚山(標高47.6m)は、元々目覚嶋と云う島で山上に水底神社が祀られ、森は社叢として保護されてきたお陰で樹齢は不明だが高さ17m、幹廻り4.89mと県下一のホルトの巨木等が残った。

 今回、宇久井ビジターセンターの方や宇久井地区の区長さんのお陰でホルトの巨木に対面できたし、水底神社に興味を持っていた方とも新たな出逢いができた感謝の一日であった。