有田市の巨樹・古木

1.「糸我稲荷神社の楠」(令和6年 2月24日作成)

(1)所在地:有田市糸我中番329(糸我稲荷神社)

(2)種類等:クスノキ(市指定天然記念物、幹廻り 6.4m、樹齢 500年以上)

   

 ↑ 糸我稲荷神社

 日本最古の稲荷神社として知られ、文化7年(1810)当時の神官、林周防による「糸鹿社由緒」では創建は白雉3年(652)とされ、京都の伏見稲荷神社の創建より早いことから、日本最古の稲荷神社と云われている。

 社前鳥居に「本朝最初 稲荷神社」の扁額が上がっています。

   

↑ 境内南西角の一番大きい楠(みぬさの楠)

   

↑ 境内北東角の二番目に大きい楠

   

↑ 境内北東角の三番目に大きい楠
 境内には、高さ20m余り、幹廻り5m~6.4mの樹齢600年とも800年とも云われる市指定の天然記念物の大楠がある。

 南西角の一番大きな楠を「みぬさの楠」と呼び、境内南東角の楠の根元に上皇方が参詣の折、奉幣、幣を納めた「みぬさの岡」の旧跡碑がある。

 記録によると明治13年迄は四本あったとされています。現在は三本であるが、その配置からみると境内の四隅に計画的に植えられていたことがうかがえます。

 明治の中頃に北西の一本が枯れたが、残りの三本は樹勢も旺盛で歴史ある糸我稲荷神社のご神木に相応しい古木であり、是非一度訪ねて頂き古の歴史に触れてみて下さい。

2.「円満寺の柏槇」(令和6年 2月24日作成)

(1)所在地:有田市宮原町東526(霊厳山 円満寺

(2)種類等:柏槇(市指定天然記念物、幹廻り 3.2m、樹齢 600~700年)

   

円満寺の参道と柏槇

 岩室山の麓に建つ古刹で境内も広く仏殿(大日堂)前に四株(内、一株は明治時代に倒れ、後に植えられた)の柏槇の樹があるのは禅宗寺院建築の様式を示すもので、京都の大徳寺や鎌倉の建長寺等しかなく、地方の寺院では珍しいそうである。

 創建は鎌倉時代で、執権北条時宗からも寺領百五十貫寄せられたが、その後火災で焼失したが、紀伊国領主浅野幸長が寺領を寄進し、その後紀州藩主も継承し再興された歴史ある寺院である。

   

↑ 四株の柏槇全景

   

↑ 一番大きい柏槇の全景(手前)

   

↑ 一番大きい柏槇の近景
 境内には、創建当時に植えられたと思う柏槇が四株あったが、明治時代に一株は倒れて巨樹は三株になっているが、倒れた場所に新たに一株が植えられている。

 何れの巨樹も樹勢は旺盛で高さも10メートルもあり歴史ある古刹に相応しい霊木で円満寺の歴史とともに地域の宝として末永く大切に守って頂きたいと願うばかりである。