有田市の巨樹・古木

1.「糸我稲荷神社の楠」(令和6年 2月24日作成)

(1)所在地:有田市糸我中番329(糸我稲荷神社)

(2)種類等:クスノキ(市指定天然記念物、幹廻り 6.4m、樹齢 500年以上)

   

 ↑ 糸我稲荷神社

 日本最古の稲荷神社として知られ、文化7年(1810)当時の神官、林周防による「糸鹿社由緒」では創建は白雉3年(652)とされ、京都の伏見稲荷神社の創建より早いことから、日本最古の稲荷神社と云われている。

 社前鳥居に「本朝最初 稲荷神社」の扁額が上がっています。

   

↑ 境内南西角の一番大きい楠(みぬさの楠)

   

↑ 境内北東角の二番目に大きい楠

   

↑ 境内北東角の三番目に大きい楠
 境内には、高さ20m余り、幹廻り5m~6.4mの樹齢600年とも800年とも云われる市指定の天然記念物の大楠がある。

 南西角の一番大きな楠を「みぬさの楠」と呼び、境内南東角の楠の根元に上皇方が参詣の折、奉幣、幣を納めた「みぬさの岡」の旧跡碑がある。

 記録によると明治13年迄は四本あったとされています。現在は三本であるが、その配置からみると境内の四隅に計画的に植えられていたことがうかがえます。

 明治の中頃に北西の一本が枯れたが、残りの三本は樹勢も旺盛で歴史ある糸我稲荷神社のご神木に相応しい古木であり、是非一度訪ねて頂き古の歴史に触れてみて下さい。

2.「円満寺の柏槇」(令和6年 2月24日作成)

(1)所在地:有田市宮原町東526(霊厳山 円満寺

(2)種類等:柏槇(市指定天然記念物、幹廻り 3.2m、樹齢 600~700年)

   

円満寺の参道と柏槇

 岩室山の麓に建つ古刹で境内も広く仏殿(大日堂)前に四株(内、一株は明治時代に倒れ、後に植えられた)の柏槇の樹があるのは禅宗寺院建築の様式を示すもので、京都の大徳寺や鎌倉の建長寺等しかなく、地方の寺院では珍しいそうである。

 創建は鎌倉時代で、執権北条時宗からも寺領百五十貫寄せられたが、その後火災で焼失したが、紀伊国領主浅野幸長が寺領を寄進し、その後紀州藩主も継承し再興された歴史ある寺院である。

   

↑ 四株の柏槇全景

   

↑ 一番大きい柏槇の全景(手前)

   

↑ 一番大きい柏槇の近景
 境内には、創建当時に植えられたと思う柏槇が四株あったが、明治時代に一株は倒れて巨樹は三株になっているが、倒れた場所に新たに一株が植えられている。

 何れの巨樹も樹勢は旺盛で高さも10メートルもあり歴史ある古刹に相応しい霊木で円満寺の歴史とともに地域の宝として末永く大切に守って頂きたいと願うばかりである。

新宮市の巨樹・古木

1.「熊野速玉大社のナギ」(令和5年10月9日作成)

(1)所在地:新宮市新宮一番地(熊野速玉大社)

(2)種類等:ナギ(国指定天然記念物、幹廻り 5m、樹齢 1,000年)

   

 ↑ 熊野速玉大社 神門

   

 ↑ 熊野速玉大社 拝殿
 熊野速玉大社は、熊野本宮大社熊野那智大社とともに熊野三山を構成する大社で、神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現勧進するため、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられ、主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神である。

 境内には、国の天然記念物に指  定されている梛(なぎ)の巨木がある。

   

 ↑ ナギの木の全景

   

 ↑ ナギの木の近景

 熊野は、祈りの聖地として憧れの異界であり、「梛」の葉は霊感のある熊野詣でのお守りとして古くから大切にされ、幹廻りが5m、高さ18mの巨木である。

 熊野速玉大社のご神木のナギは、樹齢1,000年と日本一のナギの大樹として崇められています。

 平重盛公が国安かれとお手植えされたナギのご神木は1,000年の時を刻んで平和を象徴する霊木となり、訪れる人々を見守り続けています。

 

2.「佐野のホルトノキ」(令和5年10月9日作成)

(1)所在地:新宮市佐野3-8(オークワ南紀店北 諏訪神社

(2)種類等:ホルトノキ(市指定天然記念物、幹廻り 約3m、樹齢 不明)

   

 ↑ 諏訪神社 全景

   

 ↑ 小祠とホルトノキ全景
 スーパーセンターオークワ南紀店駐車場から北方に大きな木が見えるがそれが目指す諏訪神社ホルトノキである。

   

 ↑ ホルトノキ近景ーⅠ

   

 ↑ ホルトノキ近景ーⅡ
 狭い境内の真ん中に高さ約20mのホルトノキがあり、樹齢は不明だが太さは幹廻りが約3mあり、相当古いものでこの地方では類を見ない大樹である。

 根元には小さな祠がお祀りをされていることから、古くからご神木として保護されてきたものであろうと云われている。〈 新宮市教育委員会説明書より 〉

 尚、小祠には諏訪神社の名が無かったので、グーグルマップで検索したものである。

那智勝浦町の巨樹・古木

1.「大泰寺のスダジイ」(令和5年8月23日作成)

(1)所在地:那智勝浦町下和田775(大泰寺門前)

(2)種類等:スダジイ(県指定天然記念物、幹廻り 5.1m、樹齢 400年以上)

   

↑ 大泰寺の参道

 大泰寺縁起によると伝教大師最澄は、桓武天皇の勅命を奉じ遷都の地を求めて諸国行脚で、此の近くを通りかかると大蛇に人が呑みこまれる騒ぎがあり「大師の高徳により大蛇が再び穴から出てこないように封じて欲しい。」と頼んだ。

 大師は「穴が二つあり封じる事は出来ない。温泉の湧く所に必ず薬師様を祀るものであるから、薬師様を祀らないのが悪い、私が薬師様を彫ってここに安置し、諸民の恐れを救うてやろう」との仰せであった。

 大師は蛇渕で身を清め七日の行をし、彫刻の刀を手に持ち一太刀毎に三礼して大仏像を作った。

 時は延歴七年十二月末の事で、此の時山崎お捨は「此の土地は薬師様に寄進して永世薬師の霊場として欲しい」と大師を通じて奉納したと伝えられている。

 又、境内には町指定文化財の「大泰寺 薬師堂」もあり、是非訪ねて見て頂きたい古刹である。〈 大泰寺縁起説明書より抜粋 〉

   

↑ スダジイの全景

   

↑ スダジイの近景
 参道前に県指定天然記念物のスダジイの老樹がある。根周り8m余り、高さ15mで幹廻り5.1mの巨木で、樹齢は400年以上と云われている。

 二本に分かれた幹の一本は折れたのか途中で切られ痛々しいが、頑張っている姿に“長生きしろよ”と木肌を撫でて、末永く地域のシンボルとして守られる様に祈って大泰寺を後にした。

2.「ウバメガシの老樹」(令和5年8月23日作成)

(1)所在地:那智勝浦町天満441-8(那智勝浦町体育文化会館)

(2)種類等:ウバメガシ(町指定天然記念物、幹廻り 4.7m、樹齢 不明)

   

↑ 那智勝浦町体育文化会館

 那智湾に面した「那智勝浦町体育文化会館」、最大3,000人収容の多目的ホール。2015年「紀の国わかやま国体」で、レスリング競技会場となったアリーナは各種スポーツ大会や式典等幅広い利用可能な施設で、その構内に「ウバメガシの老樹」がある。

   

↑ ウバメガシの全景

   

↑ ウバメガシの近景

 此処、体育文化会館にある「ウバメガシの老樹」は平成9年度『脇の谷「防災公園」江南山工事』により移植されたものであるが、三年余り仮移植先で樹力が回復するまで過ごし、平成13年4月、此処に本植されたと云う歴史を持つ「ウバメガシの老樹」である。

 樹齢は不明だが幹廻り4.7m、高さ7.0m、直径1.5mで県内最大、ウバメガシが県木であることとも合わせて価値が高い事から、昭和60年8月1日那智勝浦町指定文化財(天然記念物)として指定されている。〈 那智勝浦町教育委員会説明書より 〉

 新たな土地で頑張って生きているウバメガシの老樹を末永く見守って頂きたいと願うばかりである。

「ウバメガシの老樹が、生まれた江南山の今は」

   

↑ ウバメガシの老樹があったお山

 此処が「ウバメガシの老樹」が生まれ育った江南山で、今は「椎の浦防災公園」になっている。

 平成9年頃迄は、ここに在ったと思うと防災公園を造るとはいえ、ウバメガシの老樹には申し訳なく感じてくる。

 地域住民の命を守るためにやむを得ない事であったので、体育文化会館の構内に移されたウバメガシの老樹を愛おしく感じ、地域の方々にはこの事を末永く語り繋いで頂きたい。

   

↑ お山からの眺望
 勝浦港を一望するこの丘は、平安の昔から展望(みはらし)が良く、老松の美しさでも知られていました。

 後白河法皇が、熊野行幸の途次、しばし御休息なされた事で有名で、椎の浦防災公園に変わった今も此処から見る眺望は素晴らしいものがあり、古の都人にも親しまれた場所でもあり、後世にしっかり伝えていきたいものである。

那智勝浦町教育委員会説明書より 〉

3.「椙吉神社の大杉」(令和5年10月14日作成)

(1)所在地:那智勝浦町小阪1808・1809(椙吉神社)

(2)種類等:スギノキ(天然記念物指定無、幹廻り 7.35m、樹齢 不明)

   

  ↑ 椙吉神社 鳥居と大杉

   

  ↑ 椙吉神社 拝殿

 椙吉神社(すぎよしじんじゃ)のご祭神は「木花開那姫命(このはなさくやひめのみこと)とあるが、それ以上の詳しい事は不明である。

 『色川村誌』に「村社椙吉神社小坂字瀬の奥にあり、明治45年10月、南平野小阪の各神社を合祀し、由緒未詳、氏子数107」と記されている。

 古来より、深瀬大明神と称し、小坂村の氏神として安産の守護神として近隣より崇敬された様である。

   

  ↑ 大杉の全景

   

  ↑ 大杉の近景

 境内入り口の鳥居の横に根元より2主幹に分かれているが、高さ25m、幹廻り7.35mの大杉が悠然と立っている。

 樹齢は不明であるが、古くから椙吉神社のご神木として地域の安全と暮らしを見続けてきた大杉には、此れからも地域の人々に護られながら末永く元気で頑張って欲しいと願って椙吉神社を後にした。

4.「天神社のホルトノキと樟」(令和5年10月14日作成)

(1)所在地:那智勝浦町天満308番地(天神社)

(2)種類等:ホルトノキ(天然記念物指定無、幹廻り  4.22m、樹齢 不明)

         樟  (天然記念物指定無、幹廻り  5.52m、樹齢 不明) 

   

地主神社 八幡神社  ↑天神社

 菅原道真公を主祭神としてお祀りされ、『続紀風土記』には、「一村の産土神として那智山末社なり、建立の詳かならずといえども、古くより当所に勧請せる天満宮にして地名にも呼び来れるなり、古き勧請なるべし、社僧を教集院という、那智山の末寺なり」とあり、歴史ある古刹である。

   

↑ 左:樟・右:ホルトノキ全景

   

↑ 左:樟・右:ホルトノキ近景

 境内拝殿の右端に、高さ16mのホルトノキと高さ18mの樟のご神木が抱き合う様にして立っている。

 何れも樹齢は不明だが、幹廻りがホルトノキで4.22m、樟で5.52mと相当に古いもので、木肌は苔むしているが樹勢は旺盛で歴史ある天神社のご神木に相応しい巨樹で、天然記念物の指定は無いが大切に守り後世に残したいものである。

5.「ふだらく霊園 柿の古木」(令和5年10月14日作成)

(1)所在地:那智勝浦町井関(ふだらく霊園)

(2)種類等:カキノキ(町指定天然記念物、幹廻り 2.9m、樹齢 650年)

   

  ↑ 柿の木の全景

   

  ↑ 柿の木の近景

 熊野古道の「浜の宮王子(JR那智駅)」から熊野那智大社へ向かい一時間程歩いた古道沿いに柿の古木がある。

 標示板には「幹の周囲2.9m伊勢平柿という甘柿で、源頼朝(1147~1199)の死後に植えられたと伝えられている古木である。」とある。

 木の根元は空洞になり、主幹は折れて表皮だけになっていて痛々しい姿であるが、横から新たな枝を伸ばし、沢山の実を付けている姿に感動した。

 樹齢は650年と云われるが、頼朝の死後に植えられたとすれば800年近くの古木であろう。又、古木の周りは鎖で囲い大切に保存されているが、永い歴史の生き証人として末永く元気で生き続けて欲しいものである。

6.「水底神社のホルトノキ」(令和6年4月23日作成)

(1)所在地:那智勝浦町宇久井(水底神社)

(2)種類等:ホルトノキ(天然記念物指定無、幹廻り 4.89m、樹齢 不明)

   

↑ 水底神社社殿

 社殿左の巨岩(ご神体?)に「弘安9年(1286)酉5月13日に鎮座」と刻まれ、中央部には「目覚山御底大明神」と刻まれている。

 漁業関係者が信仰してきた神社で、毎春(4月第二日曜日頃)例大祭?を宇久井地区が執り行っている。(今年は令和6年4月14日(日)に実施された。)

   

↑ 例大祭:氏子お祓い

   

↑ 例大祭:獅子舞の奉納

   

↑ ホルトノキ全景

   

↑ ホルトノキ近景Ⅰ

   

↑ ホルトノキ近景Ⅱ

 目覚山(標高47.6m)は、元々目覚嶋と云う島で山上に水底神社が祀られ、森は社叢として保護されてきたお陰で樹齢は不明だが高さ17m、幹廻り4.89mと県下一のホルトの巨木等が残った。

 今回、宇久井ビジターセンターの方や宇久井地区の区長さんのお陰でホルトの巨木に対面できたし、水底神社に興味を持っていた方とも新たな出逢いができた感謝の一日であった。

かつらぎ町の巨樹・古木

1.「十五社(じごせ)の樟樹」(令和5年5月23日作成)

(1)所在地:かつらぎ町笠田東字拾五社(妙楽寺薬師堂)

(2)種類等:クスノキ(県指定天然記念物、幹廻り 13.5m、樹齢 600年以上)

        ↑ 妙楽寺の薬師堂

 かつての妙楽寺には、薬師堂、大日堂と15神を祀る十五社(じごせ)明神が鎮座していたが、明治元年神仏分離令で十五社明神は廃止され、その後明治8年3月18日に妙楽寺の建物を使って寺子屋的な明倫小学校が境内に開校し、現在の笠田小学校へと引き継がれ、妙楽寺には薬師堂だけが残っている。〈 笠田(小)校長先生より 〉

   

 ↑ 樟樹の全景

   

 ↑ 樟樹の近景

 笠田小学校隣の妙楽寺境内に悠然と立っていて、「十五(じごせ)の樟樹」と呼ばれる樹齢600年を越え、幹廻り13.5m、樹高20m、枝張り25mと全国43位、近畿地方では第1位の大樹である。

 支幹が八方に張り、その様が森のように見えることから「十五の森」とも呼ばれている貴重な樟樹であり、大切に守りたいものである。

2.「堀越癪観音のサザンカの老樹」(令和5年6月7日作成)

(1)所在地:かつらぎ町東谷1360(堀越観音)

(2)種類等:サザンカ(県指定天然記念物、幹廻り1.45m、樹齢500~600年)

   

↑本堂とご霊木のイチョウの古木

 671年役行者が母の癪の病となった際に37日間、治癒祈願のため十一面観音菩薩像を彫刻したところ、平癒したことを起源とする。

 天正年間(1573~93)に起きた紀州征伐の際、峯を越えて侵攻した兵によって伽藍は悉く焼失した。

 慶長年間(1595~1615)に再建。当寺は向井家が先祖代々祀っている世襲寺で、ご本尊は十一面観音菩薩である。

 また、当寺の上に観音堂があり、役行者の像を祀っている。「紀伊風土記」には、文治年間(1185~90)に建立されたとあり、歴史ある寺院である。〈 沿革等より 〉

   

 ↑サザンカの老樹全景

   

 ↑サザンカの老樹近景

  境内には、推定樹齢500~600年と云われる高さ約13mのサザンカの老樹があり、幹廻りも1.45mと同種としては珍しい大木で県指定の天然記念物である。

 2013年頃、樹勢が極度に衰えたことがあり、樹木医に幹の空洞部分等を治療して頂いたお陰で老樹ながら今も沢山の花を咲かせています。

3.「滝谷のカヤの巨木」(令和5年7月23日作成)

(1)所在地:かつらぎ町花薗滝谷

(2)種類等:カヤ(町指定天然記念物、幹廻り5.0m、樹齢  約900年以上)

 有田川町から国道480号を高野・花薗に向けて進み、旧花園村へ入ると直ぐに「鳥居橋(赤い橋)」があり、その橋を渡ると直ぐに右折して進むと前方に「カヤの木→800m」と書いた表示板があり、其処を右折して坂道を上っていくと目指す巨木がある。

   

↑ カヤの全景(下手側より)

   

↑ カヤの近景(下手側より)

   

↑ カヤの近景(上手側より)

 急な坂道を上ってくると前方左手に大きなカヤの巨木が目に飛び込んでくる。

 この「カヤの木」は、平安時代(西暦1100年頃)からこの地にあり、推定樹齢は約900年以上で樹高25m、胸高直径1.6m、枝張り約25mと町内の同木では最も太いものであるが、コケ類等他の植物が着生して弱っている様に見えるが、頑張って長生きして欲しいと願って帰路についた。

4.「丹生神社の杉」(令和6年3月29日作成)

(1)所在地:かつらぎ町志賀1223(丹生神社)

(2)種類等:スギ(天然記念物指定無、幹廻り7.15m、樹齢  300年以上)

   

↑ 正面:拝殿 後方:本殿

 丹生神社の由来によれば、創建鎮座は詳らかでないが、丹生都比売命との関りが深く、承元元年(1207)3月の後鳥羽上皇高野山行幸の道案内をした功績によって志賀荘の下司職を賜った佐内彦六が丹生高野明神を勧請したものと伝えられている。

   

↑ 杉の全景

   

↑ 杉の近景

 社殿の両側に杉の木があるが、特に右側の杉は高さ40m、幹廻り7.15mの巨木で樹齢も300年以上と歴史ある丹生神社の神域にあり、此の地を見守り続けた巨木である。

 幹は途中から二本に分かれた巨樹で、永い年月を風雪に耐えて生きてきた巨木を大切に守り続けて頂きたいものである。

5.「カヤの巨木」(令和6年4月4日作成)

(1)所在地:かつらぎ町志賀(峰氏所有)

(2)種類等:カヤ(天然記念物指定無、幹廻り 不明、樹齢  不明)

 志賀小学校の前でお会いした方と丹生神社の杉の巨木の話をした時に『近くにカヤの巨木もあるよ、自宅には高野槇の巨木も有るので見てよ』との事でカヤの巨木から訪ねる事にした。

   

↑ カヤの全景 Ⅰ

   

↑ カヤの全景 Ⅱ

   

↑ カヤの近景 Ⅰ

   

↑ カヤの近景 Ⅱ
 天然記念物の指定は無いが立派なカヤの巨木で、太さや樹齢等詳しい事は不明であるが有田川町下湯川や紀美野町善福寺等のカヤの巨木から推定すると樹齢数百年はある立派な木なので、皆さんに知って頂きたいと思い『和歌山県の巨樹・古木を訪ねて』に掲載した。

 只、カヤの巨木を見る場合は、所有者である峰氏にお声掛けをして了解を得て頂き、無断では入らない様マナーをお守り頂きたい。

6.「高野槇の巨木」(令和6年4月4日作成)

(1)所在地:かつらぎ町志賀(野尻邸)

(2)種類等:高野槇(天然記念物指定無、幹廻り 不明、樹齢  不明)

 丹生神社の杉の巨木とカヤの巨木を訪ねた後、お話を頂いた方(後に野尻さんと判明)のお宅に高野槇の巨木を見せて頂きに伺った。

   

高野槇の全景 Ⅰ

   

高野槇の全景 Ⅱ

   

高野槇の近景 Ⅰ

   

高野槇の近景 Ⅱ

 天然記念物の指定は無く樹齢等も不明だが紀の川市垣内の丹生神社の高野槇(幹廻り2.4m、樹齢300年)と比べても優るとも劣らない存在感のある巨木で、不思議なご縁で高野槇の巨木に出会えたので後世に伝える巨樹として『和歌山県の巨樹・古木を訪ねて』に掲載して広く皆さんに知って頂き、末永く大切に守り続けて頂きたいと願うものである。

すさみ町の巨樹・古木

1.「江住薬師のムクの木」(令和5年5月18日作成)

(1)所在地:すさみ町江住1272(江住薬師)

(2)種類等:ムクノキ(天然記念物指定無、幹廻り 5.2m、樹齢 300年以上)

   

  ↑ 江住薬師

 ムクの巨木の根元にコンクリート製の祠に石仏がお祀りされているが、お堂等は無く石灯籠が一基建てられている。

 一段高くなった場所にお薬師さんと並んで更に小さな祠の中に二体の石仏(お地蔵様?)がお祀りされている。

 石垣に嵌め込まれた石に『安政四ー巳年五月 藤木貞親築之』と刻まれている事から西暦1857年に建立されたと思われ相当古い石仏であろう。

 地元の方には「お薬師さん」と呼ばれて親しまれている。

   

  ↑ ムクの全景

   

  ↑ ムクの近景
 ムクの巨木は石仏のすぐ後ろにあり、「お薬師さん」を守る様に悠然と立っている。

 主幹自体は、巨木と云うほどの太さではないが板根になっていてムクの木独特の地際の姿は逞しく、樹齢300年以上と云われ樹高15m、幹廻り5.2mと立派なムクの木は「江住薬師のムクの木」と呼ばれ、地域のシンボルとして親しまれていて末永く大切に守っていきたいものである。

2.「王子神社のムクノキ」(令和6年3月8日作成)

(1)所在地:すさみ町和深川258(和深王子神社

(2)種類等:ムクノキ(天然記念物指定無、幹廻り 5.3m、樹齢 300年以上)

   

  ↑ 和深川王子の社殿

 和深王子神社寛永2年(1625)松本四郎大夫広正により創建された。 かつては、現在地より北の宮の谷にあり神殿の無い矢倉大明神であったと周参見村郷土誌は伝えている。

 此の神社は、王子神社春日神社が併せて祀られている。和深川は周参見氏の支配下にあったので、その関係の守護神を祭祀したものと思われる。

王子神社説明書より 〉

   

 ↑ ムクノキの全景

   
 ↑ ムクノキの近景

 宮の森には大きなナギ・ムクの古木があり、天然記念物の指定はされていないが神社の左手斜面に樹齢300年以上のムクの木があり、高さ20m、幹廻り5.3mの堂々たる巨木で幹にはカズラやシダ等色々な植物が着生し、木肌を覆っていて樹勢は衰えている様に見えるが、根はしっかりと大地に張りその風格は堂々としたものであり、末永く守り続けて頂きたいと願うばかりである。

上富田町の巨樹・古木

1.「春日神社の樟」(令和5年5月5日作成)

(1)所在地:上富田町市ノ瀬1999(春日神社)

(2)種類等:クスノキ(町指定天然記念物、幹廻り 6m、樹齢 400年)

   

 ↑ 春日神社拝殿とご神木の樟

 春日神社の由来には『往古大和(奈良)の春日四所大明神を勧請したと伝え、領主山本氏の氏神としていたという。

 江戸時代以降は、市ノ瀬村の産土神。社名は春日大明神または春日社と呼ばれ崇敬されていた。

 明治元年春日神社と改称し、(若宮神社日吉神社熊野神社)3社を合祀して境内神社とした。』とあり、歴史ある神社である。〈 由来より抜粋 〉

   

 ↑ ご神木の樟の全景

   

 ↑  ご神木の樟の近景

 樹齢400年のご神木の大樟は拝殿の前に悠然と立っていて、高さ10m、幹廻り6m、枝張り13mと、此の地域最大の樟の巨木である。

 一部の大きな枝は切られているが、何本もの枝が曲がりくねって張り、樹勢も勢いがあり、歴史ある春日神社のご神木に相応しい樟である。

2.「岩田神社の樟樹」(令和6年3月8日作成)

(1)所在地:上富田町岩田2542-2(岩田神社)

(2)種類等:クスノキ(天然記念物指定無、幹廻り 6.54m、樹齢 300年以上)

   

 ↑ 岩田神社拝殿

 創建年代は不詳、江戸時代には松本大明神・松本明神社と云われ地域の産土神として崇敬され、明治元年に松本神社と改称された。

 明治41年11月の一村一社の合祀令により、村内神社八社を合祀して岩岡神社と改称、大正4年11月合祀変更(岡地区の分離祭祀)から岩田神社に変更。〈 由来より抜粋 〉

   

 ↑ 樟樹の全景

   

 ↑ 樟樹の近景

 神社参道の階段左手の忠魂碑脇斜面に天然記念物の指定はされていないが、樹齢300年以上で高さ12m、幹廻り6.54mの樟樹が悠然と立っていて、その大きさに圧倒される。

 樟樹の側には石垣や他の樹木があり、窮屈な環境で生きているのか、上部の枝は枯れていて樹勢が衰えている様に見えたので、頑張って岩田神社のご神木として末永く地域の方々を見守って頂きたいと念じて神社を後にした。

白浜町の巨樹・古木

1.「安宅八幡のイチイガシ」(令和5年5月4日作成)

(1)所在地:白浜町(旧日置川町)安宅(安宅八幡神社

(2)種類等:イチイガシ(県指定天然記念物、幹廻り 4.3m、樹齢 300年以上)

   

 ↑ 八幡神社本殿

 紀伊風土記には「八幡宮とあり、北ケ地にあり安宅村及矢田村の産土神なり。正平年中(1346~1369年)安宅河内守山城石清水により勧請する。大永4年(1524)の棟札に奉造上棟八幡宮一宇大本願安宅大炊助とあり、元亀3年(1572)本願安宅橘光定等とある。

 享保3年(1718)5月に奉修八幡宮一宇大本願主安宅佐左衛門信澄の棟札あり。」とある。〈 由来・沿革等より抜粋 〉

 八幡神社本殿の朱色が美しく、歴史的な建築物である。

   

 ↑ イチイガシの全景

   

 ↑ イチイガシの近景

 境内には、樹齢約350年を誇るイチイガシの巨樹がある。幹廻り4m、樹高18mあり、直径1omの樹冠を形成している。

 主幹内部の一部は腐朽しているが、樹勢は旺盛で枝葉もよく茂っている。

*此の安宅八幡神社を中々見つけられず困り果てて、日置駐在所に伺い奥さんから巡回に出ているご主人に連絡をして場所を聞いて頂き、おまわりさんの案内のお陰で八幡神社に辿り着けました。知らない土地で親切にして頂き、感謝の一日でした。

2.「山王神社ホルトノキ」(令和5年5月5日作成)

(1)所在地:白浜町(旧日置川町)安宅139(山王神社

(2)種類等:ホルトノキ(町指定天然記念物、幹廻り 4.6m、樹齢 400~500年)

   

 ↑ 山王神社の鳥居と本殿

 山王神社は、小さいながらも社殿は春日造り、ご祭神は「大山昨命」で安宅の元の産土神である。

 神社は山裾に建てられていて、裏山の斜面にはホルトノキ等の雑木が生い茂っている厳かな場所である。

   

 ↑ ホルトノキ近景(1)

   

 ↑ ホルトノキ近景(2)

 神社裏山のホルトノキは、樹齢400~500年と云われる老木で高さ16.5m、幹廻り4.6mの巨木で、主幹の一部にウロ(樹洞)ができ痛々しい限りであるが、頑張っている姿に勇気でけられる古木である。

山王神社の場所が分からず、安宅総合センターの方に聞いて場所が分かり、山王神社裏手で写真を撮っているとセンター職員の方が、山王神社の冊子のコピーを持って神社まで追っかけて来てくれ、本当に親切に対応して頂き、感謝感謝の一日であった。

 また、白浜町教育委員会の方にも写真提供や現場確認等大変な協力を頂いたお陰でこの章ををまとめる事ができ感謝しています。

3.「相生のクスノキ」(令和5年5月7日作成)

(1)所在地:白浜町(旧日置川町)日置436(日出神社)

(2)種類等:クスノキ(町指定天然記念物、幹廻り南東幹/北西幹 5.84/4.9m、樹齢 700年)

   

 ↑ 日出神社の正面参道

 「創立年代は詳しくはないが、古社で社伝によると大永3年(1523)8月安宅大炊助俊と中島千代寿女が再興という。

 『紀伊風土記』は『本国神名帳』に記される安宅比売神を祀っていた古社であろうとしている。」と由来に記されている由緒ある神社である。

   

 ↑ 相生のクスノキ全景

   

 ↑ 相生のクスノキ近景

 広い境内の中央部に、ご神木のクスノキが悠然と立っている。

 一つの根元から二つの幹が生育しているため、「相生のクスノキ」と呼ばれている町指定の天然記念物である。

 樹齢700年、幹廻りそれぞれ5.84m、4.9mあり、高さは20mを超えている巨樹である。

 大永年間以前より出月宮と云われていた頃から神域を守り続けてきた相生のクスノキは、今も樹勢は旺盛で大切に守られている。

4.「子安地蔵のうばめかし」(令和5年5月8日作成)

(1)所在地:白浜町(旧日置川町)日置197-1(子安地蔵尊

(2)種類等:ウバメカシ(町指定天然記念物、幹廻り 3.2m、樹齢 不明)

   

 ↑ 浜田子安地蔵尊お堂

 その昔、この辺は山あり海ありの海岸の浜辺であった。江戸時代中期、此処に三ケ所の寺があり、来迎寺、延明寺、厳覚寺だった。

 浜田と云う地名であるが、浜辺だから浜田とついたのか浜田と云う名字の大地主かおお金持ち浜田という姓を付けたのか不明である。

 来迎寺の跡に子安地蔵尊が建てられ現在に至っている。〈 子安地蔵尊の由来より 〉

   

 ↑ ウバメカシの全景

   

 ↑ ウバメカシの近景

子安地蔵尊のお堂右手の山裾に、お堂の上まで樹冠を広げたウバメカシの老木がある。

 樹齢は不明だが、高さ15.3m、胸高幹廻り3.2mの立派なご霊木が、綺麗に整備された境内の一角にどっしりと根を下ろし子安地蔵尊を守り続けている。

   

↑ 補強されたウバメカシの近景

 数百年もの間、暴風雨に耐えて大きく伸びてきたウバメカシが今後の台風や自然災害による被害を少なくし、末永く守られる様にと鋼材でしっかり補強されている姿は痛々しい。

 ご霊木のウバメカシの老木は貴重な町の遺産であり、此れからもしっかりと守り続けていかなければと強く感じると共に元気で頑張って生き続ける事を願うばかりである。