古座川町の巨樹・古木

1.「光泉寺の公孫樹」(令和8年2月19日作成)

(1)所在地:古座川町三尾川225(光泉寺)

(2)種類等:イチョウノキ(町指定天然記念物、幹廻り 6.1m、樹齢 400年)

   

 ↑ イチョウの全景Ⅰ

   

 ↑ イチョウの全景Ⅱ

   

 ↑ イチョウの近景Ⅰ

   

 ↑ イチョウの近景Ⅱ

 光泉寺は曹洞宗の寺院で、境内にはご霊木の指定樹齢400年の公孫樹の巨樹が悠然と立っている。

 ご霊木の高さは30m、幹廻り6.1mとご霊木に相応しい巨樹で秋には黄金色に輝く葉を纏い神々しい姿に圧倒される素晴らしい公孫樹で、民話にも残る名木である。

『「民話」光泉寺の子授けの銀杏』

 『江戸時代後期、古座川町三尾川出身の日下俊斎という医者が居ました。ある夜のこと、俊斎の夢枕に三尾川にある光泉寺の銀杏の木の精だと名乗る女性が立ち「村人は畑づくりの邪魔になると私を伐り倒そうとしています。私を救えるのは先生しかありません」と訴えました。夢が気がかりになった俊斎は早速故郷に帰りましたが、光泉寺では村人たちが銀杏を伐り倒す相談の真っ最中です。俊斎は、村人たちに木の精の話しを伝え「これからは役に立ってくれるに違いない」と説得しました。やがて銀杏の木の周辺では農作物が良く収穫できるようになり、あまり根を広げなくなった木には、太い枝の途中からまるで乳房のようなコブが垂れ下がるようになりました。この姿にあやかって、子供がいない人が願掛けすると、子供が授かると伝わり、子授け銀杏と呼ばれるようになったと云う事です。』

  〈 古座川町観光協会資料より 〉

御坊市の巨樹・巨木

1.「湯川神社の樟」(令和7年11月17日作成)

(1)所在地:御坊市湯川町小松原89(湯川神社)

(2)種類等:クスノキ(市指定天然記念物、幹廻り 8m、樹齢 1000年)

   

 ↑ 湯川神社拝殿

 湯川氏がこの地を支配していた時、邸の一隅に明神社を祀っていたが、天正年間(約400年)前に静岡県大宮に鎮座の元官幣大社浅間神社よりその分霊を亀山場内の明神社と共に勧請したが、天正13年(1585)兵火により全焼した後、現在のこの地に再興し子安神社を創建された。御祭神は「木花咲耶姫命」で安産・子授の神である。

 又、此の地は中世亀山城主湯川氏居館の跡で、境内に樹齢1000年と云われる楠の巨木がある。

   

 ↑ クスノキの全景

   

 ↑ クスノキの近景Ⅰ

   

 ↑ クスノキの近景Ⅱ

 当地に在住した湯川氏館の庭園の面影を残す湯川神社には樟が多く茂っている。特に指定されている樟は、幹周り8m、高さ15mをはかり、日高地方で最も大きく、樹齢1000年と推定されている。

日高町の巨樹・古木

1.「西教寺のナギ」(令和7年11月3日作成)

(1)所在地:日高町産湯(西教寺

(2)種類等:ナギノキ(町指定天然記念物、幹廻り 1.91m、樹齢 約300年)

   

 ↑ 西教寺の本堂

 西教寺は、浄土真宗本願寺派の寺院であるが、ネット等で調べたが詳しい事は分からなかったが、元禄十二年(1704)に本堂が改築されたとの記録がある事からそれ以前に創建された事が伺われる歴史ある寺院である。

   

↑ ナギノキの全景(中央右側:ナギノキ)

   

↑ ナギノキの近景Ⅰ(中央右側:ナギノキ)

   

↑ ナギノキの近景Ⅱ(中央左側:ナギノキ)

 西教寺境内に入った右手に日高町指定の天然記念物のナギがイブキと並んで立っていて側に「元禄十二年第六世円智和尚が本堂改築の際イブキと共に寄せ植えされたものと考えられる。樹の周り1.91m、樹高約13m、樹齢は約300年と推定され、ナギとしては群内でも数少ない巨木である。」との説明書きが立てられている。

 

2.「高家クスノキ」(令和7年11月14日作成)

(1)所在地:日高町高家(玉置家屋敷内)

(2)種類等:クスノキ(町指定天然記念物、幹廻り 6.05m、樹齢 600年)

   

↑ 立派な長屋門の旧家お屋敷

 立派な長屋門が建つ玉置家は『紀伊風土記』でもクスノキの巨木が紹介されている程の歴史がある名家で長屋門の右側に大きな樹冠が見えるのが、そのクスノキである。

   

↑ クスノキの全景

   

↑ クスノキの近景Ⅰ

   

↑ クスノキの近景Ⅱ

 「高家(たいえ)のクスノキ」と呼ばれる此のクスノキは樹齢600年で高さ20m、幹廻

り6.05mと個人のお庭で成育した巨木としては日高町内最大の古木で、以前はクスノキの前に小さなお社がお祀りをされていたが、今はそのお社は無くなっていた。

 このクスノキについて、天保十年(1829)に完成した「紀伊風土記」に載っており『元禄七年(1694)玉置八郎右衛門の家に楠木の切株を穿(うが)ちたる井筒あり、その木より芽を出し二股になれり、大きさ一丈七尺許(約5.1m)あり、三百年余になれりといい伝う』とあり、末永く大切に守って頂きたいものである。

 

3.「誓願寺のイブキ」(令和7年12月7日作成)

(1)所在地:日高町小中1147(誓願寺

(2)種類等:イブキ(町指定天然記念物、幹廻り 4.8m、樹齢 約550年)

   

↑ 誓願寺の本堂

 誓願寺は浄土宗の寺院で、JR紀伊内原駅前交差点から県道189号線(比井紀伊内原停車場線)に入り、西方向へ5分程進むと誓願寺である。

 創建は、宝徳元年(1449年)といわれ歴史ある古刹の境内には開祖良故が植えたものといわれるイブキの古木がある。

   

↑ イブキの全景

   

↑ イブキの近景

 「イブキの古木」は、本堂右手の庫裡の前にあり、写真を撮らせて頂くためお寺の方にお願いに伺ったところ快くお許しを頂いたので色々な方向から撮ることができた。

 「イブキの古木」は、高さ約15m、幹廻り4.8m、樹齢は約550年で幹の一部は表皮が

剥がれ白骨化していたり、支幹の1本は途中で折れたりして姿は痛々しい限りである。

 イブキは、別名ビャクシン(柏槙)またはシンパク(槙柏)ともいわれ、暖地海岸性の植物で、樹形が美しいため、霊木とあがめられ、寺院などに植えられることが多い。

 寺伝によれば、宝徳元年(1449年)の創建といわれるから、この木はその当時に植えられたものであろう。

日高町教育委員会 説明書より 〉

由良町の巨樹・古木

1.「興国寺の天狗杉」(令和6年11月28日作成)

(1)所在地:由良町門前(興国寺)

(2)種類等:スギノキ(町指定天然記念物、幹廻り 4.32m、樹齢 400年以上)

   

 ↑ 興国寺の本堂

 興国寺は葛山五郎景倫(かづらやまかげとも)が鎌倉幕府三代将軍源実朝の菩提を弔うために安貞元年(12227)真言宗「西方寺」として建立された。 

 正嘉二年(1258)心地覚心(法燈国師)が宗旨を禅宗に改めると、「関南第一禅林」として栄え、多くの高名な僧を輩出した。

 覚心は永仁6年(1298)示寂、その後国師号を授かり、興国元年(1340)には、後村上天皇から興国寺号を賜ったと伝えられる。

 又、興国寺は金山寺味噌、醤油発祥の地であり、普化尺八と虚無僧の寺としても知られ歴史と文化に触れられる古刹で、是非一度訪ねてみては如何ですか。

   

 ↑ 天狗杉の全景Ⅰ

   

↑ 天狗杉の全景Ⅱ

   

 ↑ 天狗杉の近景Ⅰ

   

 ↑ 天狗杉の近景Ⅱ

 境内には、その昔、火事で再建に困っていた興国寺の伽藍を赤城山の大天狗が一夜にして建立したと云う伝説が残っている。 

 その時、天狗が登っていたというスギノキが売店の前にある幹廻り4.32m、樹齢400年以上と云われる「天狗杉」である。

 

2.「宇佐八幡神社クスノキ」(令和6年11月30日作成)

(1)所在地:由良町里169(宇佐八幡神社

(2)種類等:クスノキ(町指定天然記念物、幹廻り 5.23m、樹齢 不明)

   

 ↑ 宇佐八幡神社拝殿

 

 宇佐八幡神社神功皇后三韓征伐の帰途に立ち寄った際、休息された跡地に社殿を建立したと伝えられ、古の紀伊国海部郡由良荘の産土神として鎮座する神社である。

 八幡信仰は古来から仏教との関連も深く、当神社の創建には興国寺も関係し、法燈国師筆とされる扁額が伝わっています。南北朝時代には、湯川氏の崇敬厚く、又、代々坂上氏が神主を奉仕し、神事も盛大、厳粛に執り行われてきました。

   

↑ ご神木のクスノキの全景 

   

↑ ご神木のクスノキの近景Ⅰ 

   

↑ ご神木のクスノキの近景Ⅱ

 境内の西側、隣接する由良小学校の境に樹齢は不明であるが高さ29m、幹廻り5.23mのご神木のクスノキが悠然と立っている。

 元々、此処は鎮守の森でクロマツの大木等が生い茂っていた様だが、今はその姿は無くクスノキの巨木だけが往時を語る証人である。

岩出市の巨樹・古木

1.「紀の川・中島堤のムクノキ」(令和6年11月19日作成)

(1)所在地:岩出市中島1081-25附近(紀の川右岸中島堤)

(2)種類等:ムクノキ(天然記念物指定無、幹廻り5.00m、樹齢 300年以上)

   

 ↑ ムクノキの全景Ⅰ 

   

 ↑ ムクノキの全景Ⅱ 

   

 ↑ ムクノキと小祠 
 和歌山ICを出て、国道42号を東(岩出市方面)へ進み中黒交差点を右折し直進すると紀の川右岸を走る県道134号(小豆島岩出線)に突き当たり、左折して進むと前方右手の堤防に大きな木が見えてくる。其処が目的の「紀の川・中島堤のムクノキ」である。

 ムクノキの側には小祠があり、内には赤い前垂れを付けたお地蔵様が三体お祀りされていて、綺麗なお花が手向けられ地域の方々の信仰心の厚さが伺える。

   

 ↑ ムクノキの近景Ⅰ 

   

 ↑ ムクノキの近景Ⅱ 

   

 ↑ ムクノキの近景Ⅲ 

 ムクノキが数本並んで立っていて、その中で一際目立つムクノキが高さ12m、幹廻りは実測値5.25mと中々の大きさで「中島堤のムクノキ」と呼ばれ樹齢300年以上の古木で幹の下部に大きなサルノコシカケが出来ていて歴史を感じる老木で、末永く保存したい貴重なムクノキである。

 

2.「岩出市 正覚寺のムクノキ」(令和6年11月20日作成)

(1)所在地:岩出市高塚330(正覚寺

(2)種類等:ムクノキ(県指定天然記念物、幹廻り 6.08m、樹齢 不明)

   

 ↑ 正覚寺の全景

   

 ↑ 正覚寺の本堂

 真義真言宗「清浄山 正覚寺」は、今から900年程前に建立されたと云い、説明書きには、『今から約300年前、元禄時代の中頃高塚の地に近江の国生まれの、お幸(さち)十八歳が妻として十年、十五年過ぎても子供が生まれず当寺の不動明王に願をかけ、十六年目男児が生まれ立派に成長し、母の苦労を聞き孝行し、母の念願で正覚寺の末寺として地蔵寺を建立。母は尼僧となり衆生の人々を助け地蔵寺で一生を終えた。・・・』とある歴史ある寺院で、是非一度は訪ねて頂きたいものである。

   

 ↑ ムクノキの全景 

   

 ↑ ムクノキの近景 

  ムクノキは、境内墓地奥の小高くなった場所にあり、根元部分は立派であるが、主幹の一本が地上3m程で折れて樹高も低く、樹冠は小さいが県指定の天然記念物で県内でも屈指のムクノキと思われるので末永く大切に守って頂きたいと願うばかりです。

 

3.「岩出市 栄福寺のイブキビャクシン」(令和6年11月20日作成)

(1)所在地:岩出市湯窪93(栄福寺

(2)種類等:イブキビャクシン(県指定天然記念物、幹廻り4.3m/2.5m、樹齢 約500年)

   

 ↑ 栄福寺本堂 

 栄福寺は、新義真言宗の寺院で歴史は古く、弘仁元年(810年)空海創建と言われる。本堂左手前にイブキビャクシンの大樹が2本あり、その根元には石仏や宝篋印塔等が安置されている。

   

 ↑ イブキビャクシンの全景

            

  ↑ イブキビャクシンの大樹近景(手前:乙樹、奥側:甲樹)

   

 ↑ イブキビャクシンの乙樹と石仏の近景Ⅰ

   

↑ イブキビャクシンの乙樹近景Ⅱ

   

 ↑ イブキビャクシンの甲樹と宝篋印塔・灯籠の近景Ⅰ

 この寺で有名な二本のイブキビャクシンの大樹で、外部からは分かり難いが庭に入ると巨樹の大きさに圧倒される。手前の乙樹は地表から捩じりながら、くねくねと曲がりながら天に伸びる姿は龍が天に昇る様に見える。又、奥側の甲樹は幹廻り4.3mと太く空に向って延び樹冠も大きく広がり、樹齢約500年の大樹は県指定の記念物に相応しい風格のイブキビャクシンである。

 イブキビャクシンの根元に安置されている石仏には寛文六年(1666年)とあり、江戸時代のもので350年程前の石仏でイブキビャクシンの大樹と共に是非一度訪れて頂きたい寺院である。

 

4.「下中島の大イチョウ」(令和6年11月20日作成)

(1)所在地:岩出市中島(旧岩出町下中島)486

(2)種類等:イチョウ(県指定天然記念物、幹廻り 5.7m、樹齢 約500年以上)

   

↑ 東(道路)側からの全景

   

↑ 南側からの全景

   

↑ 西(反道路)側からの近景

    ↑ 

↑ 南側からの近景

 「下中島の大イチョウ」は県下屈指の大樹で天然記念物に指定された当初は幹の周囲は約5m、高さ約25mを測り、地上4mあたりから多くの太い樹幹に分かれ、枝張りの直径は東西南北何れも18m前後に及んでいた。

 樹齢については確かな記録は残っていないが、形状から判断して約500年以上と推定されます。山崎小学校の校歌の中にも歌われている大イチョウは、地域の大樹名木として保存する価値ある貴重な天然記念物として和歌山県指定文化財に指定されている。

 当初は、道路上まで樹冠を広げ大変な巨木であったが、周辺の住宅への影響を心配され、枝の切断とワイヤーでの倒れ防止対策をされ、昔の面影が無くなったそうである。

海南市の巨樹・古木

1.「千種神社の樟と杉」(令和6年 6月 2日作成)

(1)所在地:海南市重根1125(千種神社)

(2)種類等:クスノキ(市指定天然記念物、幹廻り6.73m、樹齢 300年以上)

(3)    スギノキ(天然記念物指定無、幹廻り 不明、樹齢 不明)

   

 ↑ 千種神社の参道・鳥居 

   

 ↑ 千種神社の拝殿・本殿

 古くは百草神社と言い、勧請年月は詳らかではないが「続風土記」に『田津原・伏山・大谷三ケ村の産土神なり、祀神詳しからず百草は地名と見ゆ応永・永正などの文書に百草の森の名見えたり・・・・・』とあり、旧記『百草明神は人皇第36代孝徳天皇大化三丁未年(647)、雨の森と言う所へ御鎮座、右末社七社有・・・・』とある。

 雨の森とは百草の森のことと考えられるので、何れにしても相当古くからのものと思われる。

 明治43年熊野神社海南市べ別所)及び八王子神社海南市汲沢)を合祀、社号を千種神社と改めた。

   

 ↑ 樟の全景

   

 ↑ 樟の近景Ⅰ  

   

 ↑ 樟の近景Ⅱ  

 境内を入ると左手に高さ25m、幹廻り6.73mの老樟があり、見る者を圧倒するご霊木の巨樹で、その根元にお祀りされていた地蔵尊を樟が中に巻き込んでいて『行たら見て来ら、重根の宮の楠に巻かれた地蔵尊』と昔この辺りの人々にうたわれ、語り継がれ明治の初め頃迄は地蔵尊の一部を見る事が出来た様だが、今はその姿を見る事は出来ない。〈 説明書等より抜粋 〉

   

 ↑ 杉の巨木全景 

   

 ↑ 杉の巨木と本殿(右奥) 

   

 ↑ 杉の巨木近景Ⅰ 

   

 ↑ 杉の巨木近景Ⅱ
 神社拝殿右側、玉垣の内側にご神木の杉の巨木が悠然と立っている。天然記念物の指定は無く、樹齢等詳細は不明だが県内で指定されている杉の巨木と比べても遜色は無く樹齢300年以上と推定でき、幹廻りも5m以上と思われる立派な巨木である。

 主幹は3m程の高さで折れたのか切断されているので樹高は高くは無いが、ご神木として末永く大切に守って頂きたいものである。(他の資料には檜と紹介されているものもある。

 

2.「浄国寺の樟」(令和6年 6月 6日作成)

(1)所在地:海南市黒江976(天王山 浄国寺)

(2)種類等:クスノキ(天然記念物指定無、幹廻り6.18m、樹齢 500年以上)

   

 ↑ 本堂

   

 ↑ 太鼓堂

 浄国寺は浄土真宗本願寺派の寺院で「天王山 浄国寺」と称し、享禄5年(1532)に開創された浄土真真宗の道場で、一時紀州における浄土真宗の拠点となった歴史ある自院である。本堂には全国的にも珍しい「蒔絵天井画」が施されており親鸞上人の月命日である毎月16日に一般公開されている様です。

 又、境内には立派な太鼓堂をはじめ太子堂や鐘楼もあり是非一度は訪ねたい寺院である。

   

 ↑ 義人 重根屋伊七の墓

  境内太子堂の側に「義人 重根屋伊七の墓」が建てられていて、説明書きに『享和三年(1803)の大飢饉の際、餓死する人々を救うため漆器職人であった重根屋伊七が漆器製造の材料であった「続飯米(そくいまい)」名目で米の融通を藩主に直訴した。伊七は捕えられ投獄されたが同年十二月二十九日牢死した。以後義人伊七のため、黒江では「二膳ば」といって、製品100個につき二個を余分に造り、これを残してその代金で毎年あつい法要をしました。』『紀州漆器協同組合 建』とある。

   

 ↑ 樟の全景

   

 ↑ 樟の近景

 境内にある二本の樟は参道に沿った石垣にどっしりと立ち、樹齢は500年以上と云われ高さは17m、幹廻り6.18mの巨木で、根元の異様な形が苦難の歴史を物語っている。

 何故この様な場所に二本もの樟が育ち500年以上も生き続けられたのか、その生命力に驚かされる。此れからも浄国寺のご霊木として地域の人々を末永く見守って頂きたい。

 

3.「立神社のオガタマノキ」(令和7年12月4日作成)

(1)所在地:海南市下津町引尾76(立神社)

(2)種類等:オガタマノキ(市指定天然記念物、幹廻り 3m、樹齢 不明)

   

 ↑ 立神社の鳥居と社殿への参道

   

 ↑ 立神社の本殿と夫婦岩(本殿左手)

 立神社は、桓武天皇1,300年前の御代京都上賀茂神社から神様を頂き鎮座奉る。

 戦国時代、大野城で山名義理等が栄えたころ、当神社の祭事は盛んで、財は水田60町に及んだ。豊臣秀吉大野城を政落した際、立神社もその兵火を受けて焼失、300年前に再興された。 

 境内には、町指定の天然記念物の夫婦岩と招霊木の「オガタマ」に加え、県指定の紀の国の名水「立神の水」が湧き出している貴重な歴史的・文化的遺産の神社である。

   

 ↑ オガタマノキの全景

   

 ↑ オガタマノキの近景Ⅰ

   

 ↑ オガタマノキの近景Ⅱ

 立神社の社殿に向かって左下の斜面に、高さ10m程のオガタマの巨樹が45度程に傾き立っていて主幹から2本の枝が垂直に伸びていて、主幹の先端は折れてしまっている。

 「オガタマノキ」は、コブシに似た小さな花をつけるモクレン科の常緑高木である。

   

 ↑ 夫婦岩

 本殿の左側(北側)に二つの巨岩が立っているのが、町指定の天然記念物の夫婦岩である。二つの岩に渡したロープに注連縄が取付けてあり、立神社の御神体か?。

 又、社殿の後ろは樹木が茂り、立派な社叢で何時までも残した鎮守の森である。

有田市の巨樹・古木

1.「糸我稲荷神社の楠」(令和6年 2月24日作成)

(1)所在地:有田市糸我中番329(糸我稲荷神社)

(2)種類等:クスノキ(市指定天然記念物、幹廻り 6.4m、樹齢 500年以上)

   

 ↑ 糸我稲荷神社

 日本最古の稲荷神社として知られ、文化7年(1810)当時の神官、林周防による「糸鹿社由緒」では創建は白雉3年(652)とされ、京都の伏見稲荷神社の創建より早いことから、日本最古の稲荷神社と云われている。

 社前鳥居に「本朝最初 稲荷神社」の扁額が上がっています。

   

↑ 境内南西角の一番大きい楠(みぬさの楠)

   

↑ 境内北東角の二番目に大きい楠

   

↑ 境内北東角の三番目に大きい楠
 境内には、高さ20m余り、幹廻り5m~6.4mの樹齢600年とも800年とも云われる市指定の天然記念物の大楠がある。

 南西角の一番大きな楠を「みぬさの楠」と呼び、境内南東角の楠の根元に上皇方が参詣の折、奉幣、幣を納めた「みぬさの岡」の旧跡碑がある。

 記録によると明治13年迄は四本あったとされています。現在は三本であるが、その配置からみると境内の四隅に計画的に植えられていたことがうかがえます。

 明治の中頃に北西の一本が枯れたが、残りの三本は樹勢も旺盛で歴史ある糸我稲荷神社のご神木に相応しい古木であり、是非一度訪ねて頂き古の歴史に触れてみて下さい。

 

2.「円満寺の柏槇」(令和6年 2月24日作成)

(1)所在地:有田市宮原町東526(霊厳山 円満寺

(2)種類等:柏槇(市指定天然記念物、幹廻り 3.2m、樹齢 600~700年)

   

円満寺の参道と柏槇

 岩室山の麓に建つ古刹で境内も広く仏殿(大日堂)前に四株(内、一株は明治時代に倒れ、後に植えられた)の柏槇の樹があるのは禅宗寺院建築の様式を示すもので、京都の大徳寺や鎌倉の建長寺等しかなく、地方の寺院では珍しいそうである。

 創建は鎌倉時代で、執権北条時宗からも寺領百五十貫寄せられたが、その後火災で焼失したが、紀伊国領主浅野幸長が寺領を寄進し、その後紀州藩主も継承し再興された歴史ある寺院である。

   

↑ 四株の柏槇全景

   

↑ 一番大きい柏槇の全景(手前)

   

↑ 一番大きい柏槇の近景
 境内には、創建当時に植えられたと思う柏槇が四株あったが、明治時代に一株は倒れて巨樹は三株になっているが、倒れた場所に新たに一株が植えられている。

 何れの巨樹も樹勢は旺盛で高さも10メートルもあり歴史ある古刹に相応しい霊木で円満寺の歴史とともに地域の宝として末永く大切に守って頂きたいと願うばかりである。