みなべ町の巨樹・古木

1.「南高梅の母樹」(令和5年4月26日作成)

(1)所在地:みなべ町晩稲849(有限会社 紀州高田果園)

(2)種類等:ウメの木(町指定天然記念物、幹廻り 約1m、樹齢 推定120年)

   

南高梅記念碑と南高梅の母樹

 記念碑の後部の支柱に支えられた梅の木が「南高梅の母樹」である。 

 明治35年(1902)高田貞楠氏が実生苗を植え、その中から優れたものを発見し、昭和7年小山貞一氏がこの穂木を譲り受けて栽培、これが南高梅(元々は高田梅)の始まりである。

 昭和26年(1951)南部高校竹中勝太郎先生等が5ケ年間もの研究の結果、最も優れたものを高田氏のご理解で「南高梅」と命名されたそうである。

 その後、昭和53年(1978)11月に高田孝一氏が母樹を「みなべ農業協同組合梅部会」に寄贈された。 〈 記念碑説明書より 〉

 

   

南高梅母樹寄贈の碑(昭和53年)

   

 ↑南高梅の母樹近景

 母樹は昭和53年(1978)同町の「みなべ農協本所(現JA紀州アグリセンターみなべ)に移植されていましたが、本所改築のため移植することになり老齢となった母樹の余生を少しでも長く生きて頂く為に、令和2年(2020)12月に高田智史氏が継いだ元の畑(南高梅誕生の地)へ「南高梅母樹」の記念碑とともに戻された。 

紀州高田果園 高田智史社長のお話より 〉

 *「南高梅母樹」に会いたくてみなべ町を訪れたが、詳しい場所が分からず「道の駅みなべうめ振興館」でお聞きすると、高田果園さんに連絡をしてアポを取って頂き、詳しく経路を教えてくれたり大変親切に教えて頂いた。

 又、高田果園の社長さんや事務員さんにも、お忙しい中、母樹の歴史等色々なお話を聞かせて頂く事ができ、コーヒーまでご馳走になり大変お世話になり有難うございました。今日も良い出逢いができ、感謝して帰路につきました。

2.「谷口水神の楡の巨木」(令和5年5月22日作成)

(1)所在地:みなべ町谷口538番地(道の駅 みなべ梅振興館向)

(2)種類等:ニレノキ(天然記念物指定無、幹廻り 3.1m、樹齢 130年以上)

     ↑ 水神さん

 国道424号線を「道の駅 みなべ梅振興館」に向けて走って行くと南部川の左岸に大きな木が見えてくる。

 「道の駅 みなべ梅振興館」の向かいに、ニレの巨木があり、その木の根元に「水神さん(水波の女神)」がお祀りされている。 

 此処に水神さんがお祀りされたのは、明治22年(1889)8月18,19日の台風により、上南部や清川で多くの方が亡くなり、水死者がこの附近に流れ着いた。

 谷口地区の丸山文吉氏外地区民は水死者の慰霊と堤防の安全を祈願して此の地に水神さんをお祀りしたものである。〈 旧南部川村村史より抜粋 〉

     ↑ ニレの木の全景

        ↑ ニレの木の近景1

     ↑ ニレの木の近景2
 此の巨木はニレの木で明治22年の水害時に流木が生えつき成長したと云われている。

 樹齢は130年以上で幹廻り3.1m、樹高は目測15mほどあり樹冠も推定直径20mはあり樹勢も旺盛で、まだまだ成長段階の巨木である。

 明治22年の台風では、熊野古道沿いの旧熊瀬川村自体が消滅するほどの甚大な被害が出ていて記録に残る大変な年であった。

 ニレの木の根元には、花崗岩の「明治22年水害記念碑」が建立されていて、此の地に残る悲しい歴史を後世に語り継ぐ大切な遺産であり、末永く守っていきたいものである。

*今回、この楡の巨木の投稿にあたり、みなべ町教育委員会の方のご協力により旧南部川村の村史の提供などを頂き大変お世話になったことを申し添えておきます。

3.「鹿島神社のヤマモモの老樹」(令和5年7月21日作成)

(1)所在地:みなべ町埴田20(鹿島神社

(2)種類等:ヤマモモ(町指定天然記念物、根元廻り 4.4m、樹齢 不明)

   

↑ 鹿島神社本殿

 みなべの沖合に浮かぶ「鹿島」に鎮座する「鹿島大明神」は、奈良時代以前に常陸の国(茨城県)の鹿島神宮から勧請したと伝えられ、当地は鹿島神社の遥拝所であったが、明治42年に本社を鹿島から此処に遷座されました。

 主祭神は、武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)である。

 鹿島神社では、毎年八月一日に花火を打ち上げて鹿島明神に奉納。およそ三百年前の宝永大地震の時に始まったと伝えられ、この地震では南紀一帯に有史以来の大津波が襲来したが、鹿島のお山から怪火が現れ押し寄せる高波を西と東に導き南部の浦の荒波は忽ち静まり、武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)のお力によるものと感謝のお祭りが始まりと伝えられている。

〈 花火祭縁起より抜粋 〉

   

↑ ヤマモモの全景

   

↑ ヤマモモの近景

 境内にあるヤマモモの老樹は、昭和8年(1933)の調査報告に『根元の周囲4.4m、地上1.5mの処で周囲2.79m、枝木二本その周1.43mと1.36m、樹高12.72m、親木の根元は空洞となり、御札の納める場所になっている。』と書かれているが、その後親木(主幹)が枯死、二本の枝木(萠芽)が、周1.4m、1.6m余に成長している。

〈 平成19年1月 みなべ町教育委員会説明書より 〉

4.「堺地蔵堂のソテツ」(令和5年7月23日作成)

(1)所在地:みなべ町堺(堺地蔵堂

(2)種類等:ソテツ(町指定天然記念物、幹廻り4.5m(地上1m)、樹齢 不明)

   

↑ ソテツと地蔵堂

 堺地蔵菩薩像は、『焼火(たくひ)地蔵尊』と称され、島根県隠岐の島で仁王に化けて後鳥羽上皇を危機から救ったと伝承されている。

 此の地蔵尊が堺の森の鼻まで流されてきたのを拾い揚げてお祀りしたという不思議な歴史をもつ地蔵尊で、末永く後世に伝えたい地蔵尊である。

   

↑ ソテツの全景

   

↑ ソテツの近景

 地蔵堂前庭に三株のソテツの老樹があり、昭和12年(1937)の『和歌山県史跡名勝天然記念物調査報告書』に「幹は地上1mの処から数本の支幹に分かれている故、地上60cmの最も細い処で測るに、幹周2.67mあり、樹高6.5m」とある。

 現在では地上1m余の処で幹周4.5m、他のソテツも幹周2m、2.5mで町内最大のソテツである。

〈 平成19年1月 みなべ町教育委員会説明書より 〉

5.「東岩代八幡神社のクス」(令和5年7月23日作成)

(1)所在地:みなべ町東岩代久保561(東岩代八幡神社

(2)種類等:クス(町指定天然記念物、幹廻り 5.3m、樹齢 不明)

   

↑ 東岩代八幡神社拝殿

 町の文化財に指定されている本殿は、中規模な一間流造りと称する建造物で正面169cm、側面259cm、屋根は板葺きである。

 本殿と境内社は瓦葺き覆屋内にあり、建築年代は正徳3年(1713)で、町内最古の建造物で由緒ある神社である。〈 みなべ町指定文化財説明書より 〉

   

↑ クスノキの全景

   

↑ クスノキの近景

 境内の一角に高さ約25mのクスノキの巨樹がある。

 町内で最も太い樹木で根回り9m、胸高での幹廻りは5.3mの立派なご神木のクスノキである。

 又、当神社の秋の例祭に神楽殿(長床)で奉納される『岩代の子踊り』は元禄時代(1688~1704)頃、上方の芸能者を招き習得したものと伝えられ、和歌山県文化財に指定されている貴重な文化遺産であり、末永く守り続けていきたいものである。