九度山町内の巨樹・古木

1.「イヌツゲの老樹」(令和5年3月24日作成)

(1)所在地:九度山町丹生川平見998(平見観音堂

(2)種類等:イヌツゲ(県指定天然記念物、幹廻り 1.1m、樹齢 200年以上)

   

↑イヌツゲの老樹と観音堂

 九度山町役場から丹生川に沿って蛇行する細い道を走り、更に脇道に入り山道を登った所に「平見観音堂」がある。詳しい事は分からないが、本尊の十一面観音菩薩立像は平安時代末期から鎌倉時代初期頃の作とみられ、頭上から足元まで両手先や肩から下がった天衣の先を含め、全てヒノキの一木から彫り出されている貴重な遺産である。

 過疎化や高齢化が進む集落を中心に、盗難防止のために博物館で寺の仏像を保管する事例が増えていて、ここ平見観音堂でも本尊の十一面観音菩薩立像を博物館へ寄託されている。

 〈 第21回 文化財のよこがお「融合する神と仏」より 〉

   

観音堂側から見たイヌツゲの老樹

   

観音堂方向に見たイヌツゲの老樹

 境内の「イヌツゲの老樹」は県の天然記念物に指定された昭和35年(1960)頃には高さは約6メートルもあり、『イヌツゲとしては、県下でもまれに見る老樹で推定樹齢は二百年を越え、幹は胸の高さで周囲1.1メートル、木の高さは約6メートルに達している。

 地上2.5メートルのあたりから一の枝を出し、それより上部で順次諸方に枝を張り、分枝して直径6.5メートル以上の半球形の均斉のとれたみごとな樹冠を形成している。

 元来イヌツゲは灌木性のものであるから、このような大きな幹を生じることはきわめて珍しいものと言えよう。』と側の説明書にあるが、現状、主幹は枯死して先端部は折れ、残った下部も幹の半分が腐食し今にも折れそうで痛ましい姿である。

 貴重な樹であり末永く生きることを祈るのみで、思わず『がんばれよ』と声を掛けて帰宅の途についた。

2.「北又の乳イチョウ(雄株)」(令和5年11月9日作成)

(1)所在地:九度山町北又656(北又の鎮守の杜)

(2)種類等:イチョウ(町指定天然記念物、幹廻り 3.06m、樹齢 250年以上)

   

↑ 鎮守様と乳イチョウの巨樹
 此の「乳イチョウ」に行くルートは、京奈和道の橋本ICで降り、R371号線で龍神・高野に向けて進むと「龍神・高野」と「北又」の分岐の道路標識が見えてくるので標識に従って「北又」に向って分岐した道路を進むと道路右手にあり、其処は高野山真言宗寺院西光寺の境内の様である。

   

↑ 乳イチョウの全景

   

↑ 乳イチョウの近景
 境内の端に石垣が高く積まれた一角があり、その上に小さな祠が二つお祀りされていて石垣の側に町指定天然記念物の「乳イチョウ(雄株)」の老樹が悠然と立っている。

 『イチョウは老木になると乳という気根が下がるもので、当北又のイチョウも乳がある。根元から約2m上で主幹が分かれ、それぞれの太い枝から10~50cmの気根が20本近く垂下して、気根の数は県下的にも上位にランクされている。樹齢は250年以上で幹廻りも3.06m、高さは約20mの名木である。』とある貴重な文化財、大切に守り続けたいものである。

3.「古澤厳島神社の大銀杏」(令和5年11月12日作成)

(1)所在地:九度山町上小澤鳥居元41(古澤厳島神社

(2)種類等:イチョウ(県指定天然記念物、幹廻り 4.3m、樹齢 300年以上)

   

↑ 厳島神社 拝殿

 主祭神として市杵嶋姫命(本地仏は弁財天)をお祀りされています。

 神社由来には『境内の周りを不動谷川が流れ、その形が琵琶に似て弁財天(厳島神の別名)に相応しい地形である。神社草創は明治維新の神社分離により本地堂や薬師堂等が取り払われた折、古文書等紛失し不明であるが承元元年(1208)行勝上人が敦賀の気比、安芸の厳島二神を勧請合祀、四社明神を奉祀した事からも創建は、この頃ではないかと思われる。』〈 神社由来抜粋 〉

   

↑ 大銀杏の全景

   

↑ 大銀杏の近景

 石造りの鳥居をくぐると高さ40m、樹齢300年以上と云われる県指定の天然記念物で古澤厳島神社のご神木の大銀杏が境内を見守る様に覆っている。

 神社の神域には、原生林が生い茂り太古の姿を今に伝えていて、大銀杏と共に後世に伝えていきたい大切な自然遺産である。

 今回、令和4年11月3日の文化の日に貴重な文化財を訪ねる事ができ、改めて文化財の大切さを認識できた一日であった。

4.「慈尊院のナギ」(令和5年12月29日作成)

(1)所在地:九度山町慈尊院832(慈尊院

(2)種類等:ナギノキ(町指定天然記念物、幹廻り 2.03m、樹齢 350年以上)

   

↑ 慈尊院 本堂

 慈尊院は、弘仁七年(816)弘法大師高野山開創の時に高野山参詣の要所に当たるこの地に表玄関として伽藍を創建。

 慈尊院の由来は『大師の御母公が入滅された時に、母公が弥勒菩薩になられた霊夢により、廟堂を建立して自作の弥勒仏と御母公の霊を安置された。慈尊院とは、弥勒菩薩の別名で、此れより表向きに「慈尊院」と呼ばれる様になった。』と書かれている。

   

↑ ナギの木 全景

   

↑ ナギの木 近景

 慈尊院のナギは、樹齢350年以上を超え、胸高の幹のまわりは、2.03m・高さ約15mに達し、樹勢は旺盛である。

 此の木は昭和初期に切った大イチョウの樹下で生育していたため成長が少し遅れているが網目のように露出している大小の根は、いかにも古木の趣をうかがわせている。                       〈 ナギの木説明書抜粋 〉

5.「慈尊院菩提樹」(令和5年12月30日作成)

(1)所在地:九度山町慈尊院832(慈尊院

(2)種類等:ボダイジュ(町指定天然記念物、幹廻り1.76m、樹齢 推定250年)

   

↑ ボダイジュの木 全景

 ボダイジュは、シナノキ科の植物で果実から念珠を作れる。慈尊院のボダイジュは、推定250年を超え、主幹には苔等が着生し古さを感じる。高野山附近で現存する唯一の記念すべき木である。

   

↑ ボダイジュの葉と実

 実がついた葉が落ちかけている状況で、実が多くついている葉は落葉時は竹トンボの様に廻りながら落ちるとのことである。

   

↑ ボダイジュの木 近景Ⅰ

   

↑ ボダイジュの木 近景Ⅱ

 主幹は途中で折れ、表面には沢山の瘤の様なものがあるが境内の片隅で頑張って生きている姿に感動する。九度山町の天然記念物でありながら、参拝に訪れる方にも気付かれず立ち続ける姿に愛おしさを感じながら慈尊院を後にした。