紀の川市内の巨樹・古木

1.「大神社の樟」(令和5年3月9日作成)

(1)所在地:紀の川市粉河2090(大神社)

(2)種類等:クスノキ(市指定天然記念物、幹廻り 11.4m、樹齢 1000年余)

                 ↑ 大神社と大樟
 大神社は粉河寺大門の近くに鎮座し、天正年間藤堂高虎が猿ケ丘城粉河秋葉山に在城の際、氏神として崇敬された神社で高虎が伊勢へ転封の節、現社殿を改築したと伝えられ、現社殿の装備の一部に室町時代彫刻の遺風が残され、更に神木と称される大楠樹が周囲を圧して聳立し、天然記念物として樹齢千年余と推察され、この社が古社であることを自ずと証している。〈 大神社由来より抜粋 〉

           ↑ ご神木の樟の近景
 西国三十三番札所の第三番霊場粉河寺門前通りを少し入った左手に、通りに面して「大神社」があり、小さな社とご神木の樟の巨木がある。

 天保10年(1839)に纏められた『紀伊風土記』の中に那賀郡粉河粉河村の項に「大神宮大門前ににあり、粉河村中北町の産土神なり、境内楠の大樹あり周囲三丈五尺許」とこの大楠について記されているとおり、高さ20m、胴周15mの堂々たる巨樹で、正にご神木に相応しい樟である。

2.「光明寺の松」(令和5年3月9日作成)

(1)所在地:紀の川市名手市場1397(遍照山 光明寺

(2)種類等:松(県指定天然記念物、幹廻り 2.9m、樹齢 推定400年)

            ↑ 遍照山 光明寺山門と松
 光明寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で永正4年(1507)僧了道の開基で、その後天正11年(1583)境内拡張の時、村の富豪忽助が自庭内にあった松を寄進して、本堂前に植えたものと伝えられ、県の天然記念物に指定されている。           

         ↑ 山門に向かって撮影

            ↑ 本堂斜め左前から撮影
 此の松の樹齢は、400年内外と推定され、本幹の周り2.9m、高さわずか70cmで子幹は南西北の三方向に射出して、水平に延びあい、よって傘状の優雅な樹観を形成している。此の横への延びは、庭園の関係上、この様に仕立てられたもので優雅な樹容は本堂に一層の美観を添えている。〈 「光明寺の松」説明書より 〉

 光明寺の境内はあまり広くなく、山門と本堂の間に植えられた松の木は庭全体に広がり、数多くの支柱に支えられているが、綺麗に手入れをされている。子幹等には苔が付き樹齢400年の歴史を誇る県指定天然記念物に相応しい巨木で、皆さんにも是非見て頂きたい。

3.「黒川庚申堂」の山桜」(令和6年4月4日変更)

(1)所在地:紀の川市桃山町黒川(庚申堂)

(2)種類等:ヤマザクラ(市指定天然記念物、幹廻り 3.2m、樹齢 300年)

   

ヤマザクラの巨木と庚申堂

 庚申堂の詳しい事は分からないが、庚申の夜は眠らずに夜通し語り明かして夜明けを待つという行事が行われていた。庚申堂や庚申塔は、庚申信仰に基ずくもので、全国各地に江戸時代に多く建てられ、現在も続いている。

   

ヤマザクラの全景

   

ヤマザクラの近景

 庚申堂境内にあり、高さ20m、幹廻り3.2mのヤマザクラで町内でも数少ない巨木である。幹は苔むしていて樹齢300年と云われる古木で、庚申堂のご霊木に相応しい存在感で満開の花をつけた姿は素晴らしさを感じる名木であり、是非とも一度桜観賞に来て頂き、末永く見守って頂けたらと願うヤマザクラである。     

4.「大歳神社の椋とイチイガシ」(令和5年4月16日作成)

(1)所在地:紀の川市桃山町調月1110(大歳神社)

(2)種類等:ムクノキ(町指定天然記念物、幹廻り 2.82m、樹齢 300年)

 イチイガシ(天然記念物指定無、幹廻り3.0m(最大)、樹齢500年)

          ↑大歳神社本殿と鎮守の森

 大歳神社の主祭神・大歳神は弥生の太古、素戔嗚尊と櫛稲田姫の第5子三男として出雲で生まれ、西日本・九州の倭国統一にあたり、父・素戔嗚尊を支えたと伝えられ、父神の崩御後九州から物部氏を率いて讃岐、播磨を経て河内に東遷し日本を命名された。

 さらに大和から東北地方まで統合し、日本王朝・大和王国を築かれ、日本建国の祖となった覇王だと云われる歴史ある神が祀られる神社である。〈 由来説明書より 〉

         ↑椋の全景

       ↑椋の近景 

 神社正面の鳥居をくぐると社務所があり、その前の小さな池に架かる橋の左手に池に被さる様に、高さ15mの椋の巨木がある。

 樹齢300年と云われ、幹廻りは約3mと古刹に相応しい巨樹である。

        ↑大歳神社の梵鐘

 この梵鐘は、建治三年(1277)鋳造の銅鐘で鋳造の精巧さは鐘の音色と共に美術工芸品として極めて高く鎌倉時代の特徴がよく表れていて、県の文化財に指定されている貴重な文化遺産である。〈 文化財説明書より 〉

          ↑イチイガシの全景

          ↑イチイガシの近景

 大歳神社の森はイチイガシの純林と云われ、森全体が旧桃山町の天然記念物に指定されていて、昔はもっと広大だったが戦後の財政難で奥の方の木は切って売られたそうである。

 淋しくなった森ですが、樹齢500年のイチイガシは高さ36m、太いもので幹廻り3.6mと歴史ある大歳神社の森に相応しい巨樹である。

 この貴重な「鎮守の森」を守り、後世に伝えなければという思いが、より強くなる神聖な場である。

   

↑木下美代子女史の記念碑

 神社境内の一角に教育者で歌人の木下美代子女史の記念碑が建てられている。

 碑には『白櫧(しらかし)の鎮守の森をあそび場に日月(じつげつ)の歩み遅々たりし日よ』と詠まれている。

 歌に続いて、略歴が刻まれている。

 1909年調月保田家に生まれる

 調月小学校

 県立粉河高等女学校

 東京女子高等師範学校

        卒業

  教育者 歌人

 巨木を探して境内を歩き廻っていると記念碑があり、教育者で歌人の木下美代子女史の歌が詠まれているが、薄学の私には初めて知る方で、帰ってネット等で調べたが詳しいことが分からなかったが、後世に伝えるべき郷土の文化人であり、此処に紹介した。

5.「丹生神社のコウヤマキイヌマキ他」(令和5年4月22日作成)

(1)所在地:紀の川市桃山町垣内278(丹生神社)

(2)種類等:コウヤマキ(町指定天然記念物、幹廻り 2.4m、樹齢 300年)

イヌマキ(町指定天然記念物、幹廻り1.7m、樹齢 300年)

ナギ(町指定天然記念物、幹廻り1.55、樹齢 250年)

   

↑丹生神社拝殿

 細野渓流キャンプ場管理事務所の前に、丹生神社拝殿への上り口があり65段の階段を上ったところに拝殿がある。

 ご祭神は丹生都姫命、誉田別命市杵島姫命吉備津彦命他10神がお祀りされていて、那賀郡細野村々内の艮(うしとら)方向に位置し、往時は本殿・能舞台・御供所・太子堂・鳥居・馬場の規模からなり、渓流が裾を巡り老杉・老檜が森々とした神域に囲まれた場所に鎮座している。〈 神社由来より 〉

        コウヤマキイヌマキの全景                    

     ↑左:コウヤマキ 右:イヌマキ

 拝殿の右手に、高さ30mのコウヤマキと26mのイヌマキの巨木が悠然と立っている。何れも樹齢は300年と立派な巨木で、由緒ある丹生神社のシンボルに相応しい。

 又、コウヤマキイヌマキが抱き合う様な珍しい巨木でもあり、末永く大切に守りたい名木である。

   

↑ナギの全景

   

↑ナギの近景

 拝殿から一段下がった境内の左隅に高さ15mのナギの巨木があるが、主幹に瘤ができたり苔類が繁茂したりして樹勢が衰えているが、その姿は樹齢250年の歴史を感じる稀少なものなので大切に守っていきたい。

6.「丹生神社のカヤ」(令和5年4月23日作成)

(1)所在地:紀の川市桃山町垣内278(丹生神社)

(2)種類等:カヤ(町指定天然記念物、幹廻り 2.8m、樹齢 300年)

   

  ↑ カヤの全

   

  ↑ カヤの近

 丹生神社境内の南端に県道に通じる道があり、県道との三叉路近くの少し分かり難い場所にある。

 高さは15mとびっくりするほど大きくはないが、樹齢300年に相応しい樹幹で苔類や風蘭などが繁茂し、300年の歴史を物語る巨樹である。

*神社の上り口にある「細野渓流キャンプ場管理事務所」で、「丹生神社のカヤ」についてお聞きしたら、地元の方に電話で聞いて教えて頂きましたが、見つけられず境内をウロウロしていると事務所の職員さんが、「見つかりましたか」と言って神社まで来て一緒に探してくれ、やっと「丹生神社のカヤ」に会える事ができました。

 初めて訪ねた土地で、今回もまた地域の方々の親切によって探し求めた巨樹に会えました。「巨樹・古木を訪ねて」今日も新たな人との出逢いができた感謝の一日でした。

7.「神明神社の樟・椋・ナギ」(令和5年4月26日作成)

(1)所在地:紀の川市桃山町市場166-1(神明神社

(2)種類等:クス(町指定天然記念物、幹廻り 5.4m、樹齢 400年)

       ムク(町指定天然記念物、幹廻り 2.86m、樹齢 250年)

       ナギ(町指定天然記念物、幹廻り 1.6m、樹齢 250年)

   

↑ 神明神社の社と境内の巨樹

 此の辺りは昔、森だったのか伊勢の森と呼ばれ旧記に「美福門院当荘に幽棲の折この森に宿願あって勧請し大神宮を祀った」と伝えられ、此の辺りを伊勢森垣内(いせもりがいと)と呼ばれ、近くには飼馬垣内(かいばがいと)と呼ばれる地区がある。

 明治41年三船神社に合祀されたが、由緒ある神社でその後分祀し、社が建てられた。

   

  ↑ クスの木の全景

   

  ↑ クスの木の近景

 境内北西の隅にある高さ30mのクスは、樹齢400年で幹廻りも5.4mと境内で最も大きな木である。

 神社北側の道路を挟み安楽川小学校があり、このクスの木に寄り添い目を閉じ、子供たちの声を聞くと何とも言えない安らぎを覚える貴重な場所である。

 町中に残る数少ない貴重な場所であり末永くこの環境を守っていきたいものである。

   

  ↑ ムクの木の全景

   

  ↑ ムクの木の近景

 境内の北東角に樹齢250年のムクの巨木があり、高さは20m余りで幹廻りは3m弱である。

 秋には実をつけ、昔は子供たちがムクの実を拾う光景がよく見られたそうである。

 境内のムクの中で最も大きいこのムクの木は、樹勢もよく大切に守りたい木である。

   

  ↑ ナギの木の全景

   

  ↑ ナギの木の近景

 境内南東の角にある高さ1.5mのナギの巨木は、樹齢250年、幹廻り1.6mと町内でもナギの巨木としては数少ない樹で、クス・ムクと同様に末永く大切に守りたい大切な巨樹である。

   

 ↑ 森田無絃女史の頌徳碑

 神明神社境内の一角に立派な青石でできた頌徳碑があり、正面に「森田無絃女史頌徳碑」と刻まれている。詳しい事は紀の川市の「広報 紀の川」2008年12月号に「天下に聞こえた女流文学者」との見出しで掲載されている。

 無絃女史は、江戸時代末期から幕末まで勤皇派の大儒学者として活躍した森田節斉の妻で、節斉の没後明治8年無絃は息子司馬太郎が安楽川村市場小学校に訓導(先生)として着任を機に桃山町荒見から桃山町市場に移り住み、明治29年(享年71歳)に東京で没し荒見北家の墓域に夫節斉、息子司馬太郎と並んで静かに永遠の眠りについています。〈 「広報 紀の川」より 〉

 神明神社の「伊勢の森」や「無絃女史」について、地元のおばあさんから貴重なお話と無絃女史からのお手紙を見せて頂く等大変お世話になりました。

 今日もまた、素晴らしい出逢いに感謝して帰路につきました。

 【森田節斉翁の墓地】

   

↑左から節斉翁・無絃女史・司馬太郎

 無絃女史は夫節斉翁、息子司馬太郎と並んで「荒見 北家の墓域」に永遠の眠りについているとのことで、紀の川市教育委員会生涯学習課の方のご協力で『森田節斉翁の墓地(県指定文化財)』を訪ねる事ができました。

 県指定文化財であるが、墓石は苔むし雑草や笹が茂り荒れている。又、史跡説明板も一部の文字が消えはっきりと読めない状態であり、歴史に残る偉人の眠る墓地が荒れている事に胸が痛む思いで、末永く守って欲しいと願うばかりであった。

8.「野田原の杉」(令和5年4月30日作成)

(1)所在地:紀の川市桃山町野田原光長(普賢菩薩

(2)種類等:スギ(町指定天然記念物、幹廻り 3.1m、樹齢 300年)

   

  ↑ 大杉根元の普賢菩薩

 県道貴志川垣内線を野田原光長地区に向けて走ってくると右手に小さな祠が大杉の根元にお祀りされている。

 普賢菩薩と刻まれた灯篭があり、目指す大杉である。

 普賢菩薩はあらゆる方面にわたって賢く、全ての人びとを救済するとされる仏様です。

 何故、此処に普賢菩薩がお祀りされているのかは分からないが、地域の方々の信仰心が厚いのか立派な石の灯篭が置かれ、祠の中には綺麗な花が手向けられている。

   

  ↑ 大杉の全景 

   

  ↑ 大杉の近景

 大杉は、県道沿いにあり樹齢は300年で幹廻り3.1m、高さ40mの大きさに圧倒される。20年程前には普賢菩薩の左側に大杉と同様に旧桃山町指定天然記念物の樹齢350年、高さ30m、幹廻り2.9mのカシの古木があったが切られ、今は大杉しか残っていない。

 大杉は樹勢も良く荘厳さがあり、根元にお祀りされている普賢菩薩のご霊木としてこれからも地域の方々に守られ末永く信仰されるとともに大杉も大切に保存されることだろう。

9.「野田原の樫の古木」(令和5年4月30日作成)

(1)所在地:紀の川市桃山町野田原光長(子安地蔵)

(2)種類等:カシ(天然記念物指定無、幹廻り 約3m、樹齢 不明)

   

  ↑ 樫の古木と子安地蔵尊

 普賢菩薩の大杉から10mほど来ると県道の右手奥に樫の古木の後ろに簡単な社に「子安地蔵尊」がお祀りされている。

 子安地蔵尊は安産を叶えるお地蔵様で、お参りすると安産になるそうです。地元の方のお話では、相当古い地蔵尊で昔から地域で守ってきているとのことで、信仰心も厚く綺麗なお花が手向けられている。〈 お参りに来られた方より 〉

   

  ↑ 樫の古木の全景

   

  ↑ 樫の古木の近景

 地蔵尊の側に樹齢等不明のカシの古木があるが、主幹は高さ4~5mの辺りで折れたので切断され、樹高は12~13m程度で樹幹も無く痛々しい姿で頑張っている。

 幹廻りは目測であるが3m近くもあり、樹齢は数百年と思われるカシの古木の樹幹には苔等が繁茂し苦難の歴史を物語っている。

 厳しい自然に抗いながら生きてきたカシの古木に“これからも負けずにがんばれヨ!”と声を掛けて帰路についた。

 *カシの古木について地元の方にお聞きしたところ、切断されたところからカシの木が折れ、お地蔵様を避ける様に山側に倒れた。お陰でお地蔵様に被害が出なかったが、折れた主幹を切断除去したとの事であった。

10.「美福門院供養地の樟」(令和5年5月1日作成)

(1)所在地:紀の川市桃山町最上(美福門院供養地)

(2)種類等:クス(町指定天然記念物、幹廻り 3.3m、樹齢 300年)

   

  ↑ 美福門院 五輪塔と祠 

 鳥羽上皇の皇后として、また近衛天皇の母として権勢を極めた美福門院(1117~1160)だが、一人子の近衛天皇がわずか16歳で逝去した後は、世の無常を儚み晩年は安楽川荘に隠棲して、44年の生涯を終えた。

 院を弔った祠と五輪塔がひっそりと佇んでいる。

   

  ↑ 灯篭と角塔婆

 角塔婆の脇に、『此の角塔婆の直下1メートルに大きな楠の根に巻き押えられたる青い自然石にて作る天蓋あり、底辺約40センチ四方で三角形に造らる、此の所にて火葬の上御埋葬なし奉りし事確実なりと拜察す。』と書かれた表示板が置かれている。 

   

  ↑ 樟の全景

   

  ↑ 樟の近景

 美福門院供養地にある樟の巨木は周囲25mの供養地の中央にあり、樹齢は300年で高さ25m、幹廻り3.3mの巨樹で森の様である。

 樟の根元には院の御分骨が葬られていて、五輪塔が納められた祠等を守る様に立ち続けている。

 紀伊風土記によれば『門院の御分骨をこの地に葬りエンジュを植えてしるしとなす』と記されているがエンジュの木は無く、樟になっているが、歴史に残る貴重な遺産であり末永く大切に保存したいものである。

11.「踞木地の大樟」(令和6年2月8日作成)

(1)所在地:紀の川市粉河粉河2787(粉河寺)

(2)種類等:クス(市指定天然記念物、幹廻り 7.81m、樹齢 500年以上)

   

 ↑ 粉河寺の本堂

 西国三十三番霊場の第三番札所として信仰を集めている粉河寺、ご本尊は千手千眼観世音菩薩の粉河観音宗で、開祖は大伴孔子(おおとものくじこ)である。

 鎌倉時代には七堂伽藍、五百五十ケ坊、東西南北各々四キロ余の広大な境内地と寺領四万余石を有したが天正十三年(1585)豊臣秀吉の兵乱に遭遇、偉容を誇った堂塔伽藍と多くの寺宝を焼失。その後、紀州徳川家の庇護と信徒の寄進によって江戸時代中期から後期に現存の諸堂が完成された古刹である。

   

 ↑ 大樟の全景

   

 ↑ 大樟の近景

 本堂東の鐘楼の側に樹齢500年以上で高さ16m、幹廻り7.81mの立派な樟の巨木が悠然と立っていて、根元に『踞木地』と刻まれた石碑が建てられている。

 『このクスノキ寺伝によれば「光仁天皇宝亀元年、西暦770年)の頃、大伴孔子古は、この木に踞して下を通る鹿などを・・・・・」と記されていて、このクスノキはその踞木地にあり、かなりの樹齢であると推定される。』と書かれた表示板がある。

   

 ↑ 湯浅桜の全景

   

 ↑ 湯浅桜の近景

 本堂脇に「湯浅桜」と呼ばれる桜の古木があり、『紀州湯浅の住人、藤原宗永が当山ご本尊千手観音のお告げによって本堂の巽(東南)の方に植えたものでこれを湯浅桜という。宗永は九十三才で亡くなったがその孫は湯浅氏を名のり今も健在である。』とあり、粉河寺を訪れた際には是非とも立ち寄って頂きたいものである。

 

12.「十禅律院のイブキ(柏槇)」(令和6年2月13日作成)

(1)所在地:紀の川市粉河粉河2849(十禅律院)

(2)種類等:イブキ(市指定天然記念物、幹廻り 3.93m、樹齢 不明)

   

 ↑ 十禅律院の本堂
 天台宗安楽律院派の寺院、ご本尊は阿弥陀如来平安時代の正歴元年(990)石崇上人によって創建され、天台宗粉河寺の塔頭、十禅院であったが江戸時代後期寛政12年(1800)、紀州藩第10代藩主徳川治宝により天台宗安楽律院派の寺院に改められ十禅律院として復興された。

 本堂や龍宮造の築地門等4棟は県指定有形文化財の古刹である。                    

   

 ↑ イブキの全景

   

 ↑ イブキの近景Ⅰ

   

 ↑ イブキの近景Ⅱ

 門を入った左手に高さ8m、幹廻り3.93mのイブキ(柏槇)の巨木がある。樹齢は不明であるが、主幹の捩じれや太さからかなりの老木と思われる。

 横に張り出した枝は、前後左右に伸び樹勢も旺盛で十禅律院の霊木に相応しい樹である。残念な事に境内には雑草が茂り、建物も相当傷みが酷く住職も居ない様で、古刹と思えない状況である。

 十禅律院の栄枯盛衰を見続けてきたイブキの老木は今何を思っているのかと、ふと感じ何とかこの古刹を修復して末長く守って頂きたいと切に願いながら帰路についた。

13.「浄土寺の榎」(令和6年3月30日作成)

(1)所在地:紀の川市那賀町平野89(浄土寺

(2)種類等:エノキ(天然記念物指定無、幹廻り 4.85m、樹齢 500年以上)

   

  ↑ 本堂

 浄土寺は、平野農業会館の隣にあり、宗派は真言宗山階派である。ご本尊は大日如来様とある。

   

 ↑ エノキの全景

   

↑ エノキの近景Ⅰ

   

 ↑ エノキの近景Ⅱ

 狭い境内?(駐車場)の本堂向かい側の端に天然記念物の指定は無いが樹齢500年以上、高さ15m、幹廻り4.85mの榎の巨木が悠然と立っている。

 地元の方の話では『此れは榎では無く、ムクノキだと云われた。境内?(農業会館駐車場)を舗装してから、此の木は弱ってきた。』とも話されていた。

14.「勝神の大カヤ」(令和6年4月23日作成)

(1)所在地:紀の川市粉河町勝神325(勝神神社)

(2)種類等:カヤノキ(市指定天然記念物、幹廻り 6.0m、樹齢 500年以上)

   

↑ 勝神神社の社殿

 代々の神職家の再度の火災により文章等一切を焼失、創建年代、由緒等は不明である。主祭神天忍穂耳命は、全名を正哉吾勝々速日天忍穂耳尊と云い、略して勝神と呼び当地の地名の由来となったと云われる。

 大正3年(1914)字垣内鎮座の八幡神社を合祀、社名が勝神神社となった。

   

 ↑ カヤノキの全景

   

↑ カヤノキの近景Ⅰ

   

↑ カヤノキの近景Ⅱ

   

↑ カヤノキの近景Ⅲ

 勝神神社境内の石垣に食い込んだ形で、樹齢500年以上の勝神の大カヤは高さ15m、幹廻り6.0mの堂々たる巨樹で樹勢も旺盛で悠然とした立ち姿は見る者を圧倒する存在感である。

 天然記念物指定名称は、「勝神薬師寺のカヤ」となっているので、此処に薬師寺があったと思われるが寺院の面影は無く神社として整備されている。

15.「賽の森の椋の木」(令和6年4月23日作成)

(1)所在地:紀の川市粉河町杉原912-1(山本氏所有)

(2)種類等:ムクノキ(市指定天然記念物、幹廻り 6.0m、樹齢 400年)

   

↑ 根元の賽の神

 椋の木の根元に小さな石仏がお祀りされているのが、集落や家に疫病神など悪い神が入らない様に祈る神、賽の神様である。

 多くの場合、集落の入口や辻(十字路や三叉路)に立てます。又、地域によっては同祖神とも云われている。

   

↑ ムクノキの全景

   

↑ ムクノキの近景Ⅰ

   

↑ ムクノキの近景Ⅱ

 推定樹齢400年と云われる椋の古木は、高さ24m、幹廻り6.9mの堂々たる巨樹である。椋の木には、苔やカズラが巻き付き400年の歴史を感じる貴重な地域の宝であり末永く守り続けて頂きたいものである。